「育児は楽しいですか?」
乳幼児健診の事前アンケートの質問に、思わず手が止まったわたし。
楽しい??
育児は楽しいものなのか?
そのときわたしの感じていた気持ちは、イライラ・不安・なんだか疲れている・・・
“楽しい”とはほど遠い、毎日の育児。
『ほんの小さなことでも楽しめるかどうかは、自分次第』
そう教えてくれたのは、ひだまりの家の多美子さんでした。
心に余裕がなくて置いてけぼりになっていた、“楽しい”という感情について書いてみました。
- 1歳6ヶ月健診。「育児は楽しいですか?」の質問に思わず手が止まる。
- わたしの場合、育児は「大変」と「可愛い」
- 家事と育児と仕事だけの毎日に、不安になったこと
- そもそも“楽しい”ってどんな感情?
- 子どものためにと制限していたことを思い切ってやってみたら、“楽しい”と感じる余裕ができた
- 心に余裕があると、育児も楽しめるみたい
- 追記:はじめての土曜保育で息子の様子。保育士さんには感謝しかない。
1歳6ヶ月健診。「育児は楽しいですか?」の質問に思わず手が止まる。
今年2019年の4月から息子を保育園にあずけて、昼間はパートで働いているわたし。
保育園や仕事に慣れてきてから、ここ数週間は、やるべきことを淡々とこなすだけのほぼ同じような毎日を過ごしていました。
仕事がある日は、朝6時くらいから夜22時まで家事育児仕事でノンストップ。
朝は、自分の身支度と保育園の支度と息子にごはんを食べさせたり支度をしたりして、バタバタと家を出て。
仕事が終わったら一目散に迎えに行って(18時までに迎えに行かないといけない)家に帰って。
息子のごはん作って食べさせて、自分たちのごはん作ってササっと食べて、息子をお風呂に入れて、洗濯して、息子を寝かしつけて、寝入ったら洗濯もの干して、お皿洗って。
ここらへんまでで大体22時とか23時くらいになり(大体息子を寝かしつけてるときに寝落ちしてしまうけど)。
やっと自分の自由な時間だけど、「明日も早いし早く寝よ」となって大体お風呂に入ったらすぐ寝る、という毎日。
休みの日も、なんだかんだ買い物行ったり公園行ったり、息子用のおかずを作り置きしたりするので、自由な時間は息子が寝ているときだけで。
とにかくやるべきことをせかせかとこなすだけの毎日を、いつしか送っていました。
そんなある日。
2019年10月で1歳6ヶ月になる息子に乳幼児健診の案内が来て、その事前アンケートを記入していたのですが。
アンケートの質問項目に答えていて、
「育児は楽しいですか?」
という質問があって、その質問にきたときにわたしの手がピタッと止まりました。
楽しい??
楽しいってどんなんだっけ??
育児は楽しいものなんだっけ??
自分が思う“楽しい”という感情と、“育児”で実際に感じている感情が、あまりにも結び付かなくて。
そもそも、“楽しい”という感情がどんな感情かが思い出せなくて、しばらくその質問にジッと目が止まっていました。
わたしの場合、育児は「大変」と「可愛い」
「育児は○○」という言葉の○○に入る言葉は、わたしの場合は真っ先に、
大変
という言葉が浮かびます。
育児はまぁーーー大変。
はじめての育児で、はじめてのことばかりという大変さと。
はじめてのことばかりの息子に、はじめてのことを教える大変さ。
息子のことをめちゃくちゃ可愛いと思うときも、もちろんたくさんあります。
でも素直に可愛いと感じれないくらい、疲れきっているときもあるし、イライラしてしまうときもたっくさんあります。
そんな毎日の育児を振り返ったときに、“楽しい”という感情が見当たらず。
そもそも、わたしってどんなときに楽しいと感じるっけ?と考えたときに、ポンッとすぐ浮かんでこず。
“楽しい”が感じれなくなっている自分に気づいたときに、「あ、やばいぞ」と思いました。
家事と育児と仕事だけの毎日に、不安になったこと
家事と育児と仕事と、やらなければならないことをこなすだけの毎日を繰り返していたとき、ふと不安になったことがありました。
「この先もずっとこんな毎日を繰り返してていくつもりなのか?」
「息子が自立していったときに、自分にはなにも生きがいがなくなるんじゃないか?」と。
ただやるべきことをこなしているだけの毎日に、自分の人生を進めれていない気がして。
このままの毎日を繰り返しても、将来にはむなしさしか残らない気がしました。
わたしの生きがいは?と聞かれたら、今は迷うことなく息子のことがポンと浮かびます。
(旦那さんのことが置き去りにされてるけど、今はちょっと置いといて)
でも、息子のことだけが生きがいの人生も、なんかちがうな、と。
息子には息子の人生があるし、わたしにはわたしの人生があるから。
でもこのまま、やるべきことをこなすだけの毎日を続けていたら、わたしは「自分のためにこういうことをしてきた!」というものがなにも残らないと思いました。
わたしは、わたしの好きなことを思いっきり楽しむ人生も、歩んでいきたい。
そもそも“楽しい”ってどんな感情?
わたしにとっての“楽しい”というイメージは、旅行に行ったり遊びに行ったりしたときに感じるような、特別なときに感じるイメージでした。
でも、“楽しい”という感情は、本当は日常生活の中にあふれているもの。
そう教えてくれたのは、ひだまりの家の多美子さんでした。
多美子さんにとっての“楽しい”は、大好きな韓国のアイドルの動画を観たり歌を聴いたりすること。
はじめてその話を聞いたとき、「あ、そっか。そんなことでいいんだ」と思いました。
“楽しい”って、そもそも自分の心がワッと湧いたり、好きなことをしているときに感じたりするもので、決して特別な感情ではなく、日常生活の中にある感情。
だから、ほんの小さなことでも楽しめるか、ほんの小さな幸せにも気づけるかは、自分次第だと教えてくれました。
そのことを思い出したときに、自分のここ数日を振り返ると、“楽しい”と感じれたことが思い当たらない。
いや、正しくいうと、“楽しい”と感じる心の余裕がない。
アンケートを書いていたそのときのわたしは、「なんだか疲れた」「イライラ」という言葉が頭の中でいっぱいでした。
思い返せば好きなこともしています。
たとえば、わたしはパンとコーヒーが好きでよく食べたり飲んだりしているけど、それを楽しむというよりは急いで摂取しているという感じで。
わたしはお気に入りの海辺があって、何度か行きたいなと思ったけど、息子を連れて出かけることを考えると、けっこう遠いし外でごはん食べるのも大変だし、やっぱやめとこうとなったり。
そんなふうに、「〇〇したい」という自分の欲求を、無意識にいろいろ制限をかけてしまって、いつのまにか「〇〇したい」という自分の心の声をムシしてしまうクセがついていました。
子育てしてると、いろいろ制限かかりまくりなのは当たり前だし、それがむちゃくちゃ苦になっているという自覚はなかったのですが。
それがいつのまにかストレスが溜まりまくっていて、「なんだか疲れた」「イライラ」「むなしい」という言葉ばかり頭の中に浮かぶようになっていました。
子どものためにと制限していたことを思い切ってやってみたら、“楽しい”と感じる余裕ができた
前回多美子さんの『サンポミチ。親と子のかけ橋講座』を受けたときに、めちゃくちゃストレスが溜まりまくって心の余裕がなくなっていたことに気づいたわたし。
それまで息子のために制限していた、「〇〇したい!」という自分の本音が、ポンっと表に出てきて。
思い切ってその本音のままに行動してみることにしました。
それは、息子を土曜保育に預けて、多美子さんの講座を1人でじっくり集中して学ぶこと。
それを決めてから、いろいろ不安なこともないわけではなかったですし、息子のことを思うと「申し訳ないな」と思うこともありましたが。
息子のためにと制限していたことをとっぱらったことで、心がふぅ~と楽になりました。
アップアップになっていた自分の心に余裕ができて、「なんだか疲れた」「イライラ」と感じることがぐーんと減りました。
講座を受ける前と後で、毎日のやることが変わったわけではないけど。
前までは、コーヒーを飲んでるときもやるべきことで頭がいっぱいいっぱいだったのが、今飲んでいるコーヒーに集中できるようになったり。
好きな動画を観たいと思ったときに、隙間時間で集中して観ることができたり。
なにかしながらもやるべきことや時間で頭がいっぱいいっぱいだったのが、「今」に集中できたり、入り込めるようになりました。
「自分のために今これをしている」と感じれるようになりました。
それが、わたしにとって“今を楽しんでいる”という感じ。
コーヒーを飲んだり動画を観たりすることは、講座を受ける前も受けた後も同じことをしているんだけど、それに対する自分の感じ方が変わって。
自分次第で楽しめるってこういうことなんだと気づきました。
心に余裕があると、育児も楽しめるみたい
心の余裕ができて変わったのは、「今」を楽しめるようになったことだけではなくて。
息子への関わり方も自然と変わっていきました。
今までは、自分がごはんを食べている途中に絵本をもってこられると、「後にしてよ…」とイライラしたりドッと疲れを感じたりしていましたが、読んであげようと思うことができたり。
時間とやるべきことに追われていつも有無を言わさず強制的にお風呂につれていったり、着替えさせたりしていたのが、息子が自分から来るまで待つことができたり。
心が楽になってから、「息子のしたいこともしたいときにさせてあげよう」と思えるようにもなりました。
そして、ハッと気づいたのは、今までの自分が息子の目を全然見ていなかったこと。
いつも、忙しくなにかをしながら話しかけたりしていて、息子のことを全然見ていなかったなぁ…と。
息子を保育園に預けて好きなことをするなんて、ひどいお母さんだと思っていたけど。
実際に行動してみて、わたしにはこっちの方が合っていると思いました。
子どもといつも一緒にいて楽しめるお母さんはすごいなぁと思うけど、わたしは子どもといつも一緒ではなく1人の時間が必要みたい。
そして、そんなお母さんでもいい。
息子のために、といろんなことを息子に合わせて心の余裕がなくなっていたわたしは、息子にかけてあげられる愛情も枯渇してしまっていました。
でも息子にとって必要なのは、一緒にいる時間の長さではなく、どれだけ愛してもらえたか。
その愛情をかけてあげられるには、お母さんの心が不安やストレスでいっぱいではなく、楽な状態であること。
今回思い切って土曜保育をお願いして、アップアップになっていた心に余裕ができたので、自分のためにも息子のためにもよかったなと身に染みて感じました。
子育てをしていると、いろいろと制限がかかりまくりだし、無意識に自分のしたいことをガマンするクセがついてしまいますが。
それを繰り返していると、いつのまにかストレスが溜まりまくっていて、自分の心の声が聞こえなくなってしまっていました。
「なにがしたいか?」「なにが好きか?」は、純粋な自分の喜びにつながるものだし、自分の人生を生きるための大切なキーになるもの。
心の声にじっと耳を傾けて、たまには「お母さんのワガママにつきあって!」と思い切ってその欲求を叶えることをしてもいい。
そうして心に余裕ができたぶん、「今」を楽しめたり、育児を楽しめるようになるのだと気づきました。
追記:はじめての土曜保育で息子の様子。保育士さんには感謝しかない。
はじめて土曜保育に行った息子の様子。
前回の記事でも書きましたが、今息子が通っている保育園は分園ですこし特殊な場所にあって、土曜保育のときは本園での合同保育になります。
担当する保育士さんが本園の保育士さんになることもあったり、分園のお友だちもいたりいなかったりで、メンバーがゴロゴロ変わる土曜保育。
(なので、息子にとってストレスになると思い、土曜保育は避けてきました)
保育園にあずけていったときは、本園の保育士さんしかいなかったので、「人見知りしちゃうかな」とちょっと不安になりました。
息子も泣きはしませんでしたが、やっぱり「え・・・」と少し動揺している感じがあって。
後ろ髪をひかれつつ、息子をあずけて保育園を出たのですが。
お迎えに行ったときに話を聞いたら、やっぱりわたしが出ていった10分後ぐらいからずっと泣いていたらしく。
それを聞いたときには、すごく胸が痛みました。
でも、そのあと分園のいつもの保育士さんが来て、息子の機嫌をなおしてくれて、「そのあとはいつもと同じでしたよ!ごはんもいっぱい食べてます」とその分園の保育士さんが話してくれて。
「本園でも○○くん(息子)は大丈夫ですね!」と明るく笑って言ってもらえたときに、もう心からその保育士さんに感謝でいっぱいでした。
その保育士さんは、わたしが「この保育園にしよう!」と決めたきっかけにもなった保育士さんで。
なぜなら、はじめての保育園入園で、挙動不審なくらい不安がっていたわたしの気持ちに寄り添ってくれて、とっても明るく安心させてくれた保育士さんだったから。
土曜保育をお願いしたときも、人見知り気味の息子が慣れてくれるか心配していたわたしに、「今日は研修生が来ていましたけど、人見知りせずまったく大丈夫でしたよ!」と話してくれたりしていて。
その保育士さんからは、わたしが安心するようにという気持ちと、本当に息子のことを「大丈夫」と信じてくれている気持ちが伝わってきて。
それがなによりもうれしくて、ありがたかったです。
きっと最初に息子をあずかった本園の保育士さんも、泣き止まない息子を一生懸命あやしてくれたんだろうな・・・と思うと、本当に保育士さんには感謝しかない。
こうして、わたしたち親子にかけてもらえたたくさんのまわりの方の優しさも、ずっと忘れないでいきたい。
みんながホッと安心できる場所
~ひだまりの家サンポミチ~
ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。
さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として…
子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として…
あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として…
さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える
そんなあたたかな場所をみなさんと作っていきたいと思っています。
ぜひ遊びに来てくださいね。
ひだまりの家サンポミチHP
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