「お母さんの笑顔は本当に子どもの幸せ?」
自分のやりたいことがあるけど、そのためには子どもが犠牲になってしまう・・・
むちゃくちゃ悩みまくっていたわたしですが、ひだまりの家で高瀬多美子さんの『サンポミチ。親と子のかけ橋講座』を学んでいてハッと気づいたことがありました。
わたしなりに考えてたどりついた答えを書いてみました。
- お母さんの笑顔は本当に子どもの幸せ?
- 自分の子どもの頃を振り返ってみる
- 『サンポミチ。親と子のかけ橋講座』の中でハッと気づいた
- 子どもの頃、お母さんにどんな顔をしていてほしかったか
- 子育てに正解はない
- 追記:子どもにとって必要なことは、一緒にいる時間の長さではなくどれだけの愛情をかけてもらえたか
お母さんの笑顔は本当に子どもの幸せ?
子育てについての本や記事を見ていると、よくいろんなところで、
「お母さんの笑顔が子どもにとって幸せ」
「お母さんが笑顔でいることが大事」
という言葉を目にします。
わたし自身も、子どもが生まれる前から「お母さんが幸せでいることが子どもにとっても幸せなことだ」とずっとそう思ってきました。
でも、最近「本当にそうだろうか」と考えるようになりました。
きっかけは、今通っている保育園で土曜日も保育をお願いするか悩みだしてから。
今通っている保育園は分園でちょっと特殊な場所にあり、平日しか開いておらず、土曜日も保育をお願いする場合は本園での保育になります。
そのため担当の保育士さんも変わったり、本園の子と合同になったり、分園のお友だちもいたりいなかったりで、毎週メンバーがゴロゴロ変わる環境のため、絶賛人見知り中の息子にはストレスになるかと思い、土曜保育は避けてきました。
しかし、収入のことを考えるともう少し働きたいなぁと考えるようになり。
それに、土曜日はわたしが今熊本県宇土市にあるひだまりの家で学んでいる、高瀬多美子さんの『サンポミチ。親との子のかけ橋講座』が開催されるので、土曜保育ができれば講座の日は息子をあずけて1人で集中して講座を学びに行けるな!と思ったり。
そう考えているときに、「自分のエゴで子どもを振り回してないか?」と思いました。
最初保育園に入園するか悩んだときも、散々同じ質問を頭の中で自問自答してグルグル悩みまくったのですが。
いろいろと言い訳をつけて「そっちの方がきっと子どものためになる」と親が勝手に思っているだけで、子どもからしたらやっぱりお母さんと一緒にいたいんじゃないかな、と思ったり。
収入のことを考えたり、講座のことを考えると、土曜保育をお願いした方が自分は助かるけど・・・
息子にとってはストレスになると思い土曜保育はしないまま、悶々と悩み続けていました。
自分の子どもの頃を振り返ってみる
「本当にお母さんが笑顔でいることが子どもにとって幸せなことだろうか」と考え出したときに、わたしは自分の子どもの頃を振り返りました。
わたしは母子家庭で育ち、両親はわたしが小学校4年生のときに離婚しました。
わたしは当時まだ状況がよく理解できていなくて、離婚した原因もわかりませんでしたが、 大学生になってから母と少しずつそのときのことを話すようになりました。
離婚を決めた理由のひとつとして、母は「お母さんが毎日暗い顔でいるよりも、少しでも笑っている顔を見せた方が子どもたちにとっていいと思った」と話していました。
今自分が「子どもをエゴで振り回していないか?」と悶々と悩んでいて、母のその言葉をふと思い出したときに、「お母さんが笑顔でいることが子どもにとって幸せじゃないこともあるんじゃないか」思いました。
なぜなら、わたしはやっぱりお父さんと離れたことがすごく悲しかったし、一緒にいたかったから。
最後にお父さんと別れて住んでた場所を出るときに、お母さんが笑っている顔を見て、わたしはものすごく悲しかったのを思い出しました。
だから、お母さんが笑顔でいることが、必ずしも子どもにとって幸せじゃないこともあるんだ、と。
自分の子どもの頃を思い出して、息子を自分のために振りまわしたくないなと思い、やっぱり土曜保育はしないでがんばろうと思いました。
『サンポミチ。親と子のかけ橋講座』の中でハッと気づいた
動き回る息子を連れて気力と体力を消耗しながら、多美子さんの『サンポミチ。親と子のかけ橋講座』を学びにひだまりの家にやってきた日。
この日のテーマは、自分を知るためのひとつとして『自我状態』についてのお話でした。
今の自分のクセを知るためにエゴグラムを書いて、出来上がったエゴグラムを参加されているみなさんとシェアしているときに、「自分の好きなこと・楽しいことをしているか」という話題になって。
わたしは、 なんだか疲れきっている自分を感じていて、 最近毎日家事と育児と仕事でタスクをこなすことの繰り返しばかりだったなと気づきました。
そんな中で、
「子どものことや家のことを優先して自分の好きなことをガマンしてきた」というお母さんと、
「子どもを犠牲にして自分の好きなことをして遊んできた」というお母さんがいました。
多美子さんは後者の方で、笑いながら「わたしと◯◯さんは子どもを犠牲にして遊んできた方ね!」と話していました。
笑いながら楽しそうに話しあっているみなさんを見て、ハッ!と気づいたことがあって。
それは、どっちが正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとかはないということ。
そして、子どものために自分の好きなことをガマンするのも、子どもを犠牲にして自分の好きなことをするのも、いろんな生き方があってアリなんだってことです。
(犠牲という言葉にちょっと語弊があるけど、お母さんの純粋な喜びのために子どもにちょっとガマンしてもらうこと、と言ったらいいかな)
わたしは、白黒で判断したがるし、正しくあろう、良い母親であろうとしてしまいがちで。
その『良い母親』というのも、世間一般的に考えて、こうあるべきというような理想的な母親像で。
わたしは、自分のエゴのために子どもを振り回すのは母親として悪いことだ、と思っていたし、しちゃいけないと思っていました。
もちろん、子どもにとってもイヤだと思うかもしれません。
でも、どれが正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとかは、わからない。
子育てには正解がないように、親の在り方にも正解はない。
子どものためにガマンする生き方も、子どもを犠牲にして好きなことをする生き方も、いろんな生き方があっていい、ということ。
そのことに気づいたとき、 自分自身が今子どものためにいろいろガマンして、むちゃくちゃストレスが溜まってアップアップになっていることに気づいて。
これまでは息子と一緒に講座に参加しても集中して内容に入っていけたのに、集中が何度もとぎれとぎれになって内容に入っていけない自分を感じて、息子もわたしも限界がきているのを感じて。
ずっと悶々と悩んできたけど、「やっぱり土曜保育をお願いしたい!」という自分の本音がポンッと表に出てきました。
子どもの頃、お母さんにどんな顔をしていてほしかったか
離婚の理由のひとつとして、「お母さんが毎日暗い顔でいるよりも、少しでも笑っている顔を見せた方が子どもたちにとっていいと思った」 と話していた母。
両親が離婚をしたことは、当時のわたしにとってはものすごくショックだったし、少なからず自分の心に傷を負った悲しい出来事でした。
でも、離婚をしたからといって母が笑顔になったかというと、そうではありませんでした。
現に離婚してからの母を思い出しても、笑っている顔より、ガマンして眉間にしわを寄せている顔の方が記憶に残っているから。
離婚は、母の純粋な喜びのためではなく、子どものことを思っての決断だったから。
自分が子どもの頃、お母さんにどんな顔をしていてほしかったかな、と改めて考えたときに、やっぱり楽しそうな顔をたくさんしていてほしかったなと思いました。
母が楽しそうな顔をしていたときは、自分の好きな美術展を観に行くとき。
一緒に行っていたわたしも、そんな母の影響で美術館が好きになりました。
自分の子どもの頃を振り返ってみて、あらためて自分の悩みについて考えたとき。
わたしは、息子のためと思って自分のことを制限していたけど、気づかないうちにそれがめちゃくちゃストレスになっていて、ちょっとしたことでイライラしたり、どうしようもない疲れを感じてしまっていました。
息子に優しくしたいけどついイライラしてしまう自分に自己嫌悪したり、笑いたくてもうまく笑えない日々・・・
今回講座でいろんなお母さんの生き方を聞いて、自分はどうしたいかを考えたときに、子どものためにガマンするのは自分の性に合わない!と気づきました。
今のわたしの本音は、働きたい。講座を集中して学びたい。
やっぱりわたしは、土曜保育をお願いしよう!と思いました。
子育てに正解はない
お母さんの笑顔が本当に子どもの幸せなのだろうか?
その問いに対するわたしなりに考えた答えは、
「YES」
です。
自分の子どもの頃を考えたとき、やっぱりお母さんにはガマンするよりも笑っていてほしかったと感じたから。
子どもを保育園にあずけて自分の好きなことをするなんて!と批判する人もいるかもしれません。
いろんな考え方や価値観があるし、子育てについても本当に人それぞれで価値観が異なります。
でも、どれが正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとかは、ない。
子どものためにガマンする生き方も、子どもを犠牲にして好きなことをする生き方も、いろんな生き方があってアリ。
そして子どものためにガマンする生き方が性に合わないわたしは、好きなことをする生き方を選ぼう、と思います。
絶賛人見知り中な息子が心配で土曜保育を避けてきたけど、心配ばかりで息子のことを信じれていなかったな、ということにも気づきました。
本園には行ったこともあるし、本園の保育士さんとあったこともあるし、分園のお友達がいるときもあるし、「息子はきっと大丈夫だ」と信じよう!と思いました(都合のいい“信じる”だけど)。
土曜保育で人がゴロゴロ変わる環境が、息子になにか影響を与えるんじゃないか・・・という不安もなくはないですが。
でも、それは今はだれにもわかりません。
それは、息子が大きくなったときに聞いてみようかな、と思います(1歳のころのことなんて覚えてないだろうけど。笑)
追記:子どもにとって必要なことは、一緒にいる時間の長さではなくどれだけの愛情をかけてもらえたか
わたしの今回のギモンとたどりついた答えについて、多美子さんが自分なりの想いを書いてくださいました。
その想いを読んでいて、本当に大事なことにハッと気づいて。
そのことを忘れないように、多美子さんが書いてくださった想いを書いておこうと思います。
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さゆりちゃんの投稿見させてもらいました。
昨日の講座の中で集中してないなぁというのは初めてから感じていました。
さゆりちゃんの考えての答えを受けて私の想いをかいてみます。
私も何が正しいのか答えはわかりませんが…娘が中学の時すごいいじめにあいました、
その時の事でなせ学校に行く事ができたのと聞いたら娘いわく…お母さんがバカみたいに明るかったから家にいるときは忘れられたからだそうです
でもあの時に母親としてやるべきことがあったのでは…って考えたこともありました。
だから今この仕事をしているのかもです。
なにが良いかどうかは…本当に白黒つけられないかもですが
笑顔でいなければいけないと思ってるのと本当に小さなことでも楽しいと思う事では違うとおもいます。
自分のために時間とったら子供を愛してあげる時間をちゃんととってあげること
時間の長さではないとおもいます。
さゆりちゃんその時その時の今を大事にしていってね
私もさゆりちゃんの投稿が見に染みます
さゆりちゃん親子の幸せをいつも見守ってます
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多美子さんの想いを読んでハッと気づいたのは、「笑顔でいなければいけないと思ってるのと本当に小さなことでも楽しいと思うことではちがう」ということ。
そして、子どもにとって本当に必要なのは、一緒にいる時間の長さではなく、どれだけの愛情をかけてもらったかということです。
わたしはずっと、「笑顔でいなければいけない」と思っていたことに気づきました。
だから、笑いたくても笑えない自分がつらかったなぁと。
笑顔でいなくちゃと思えば思うほど、それができない自分を責めて追い込んでしまっていました。
多美子さんが話していたけれど、「子どものためにガマンをして、でもそれで子どもが安心を感じれていなかったら、せっかくガマンをした甲斐がないよね」と。
子どものためにガマンするのも、根本にあるのは子どもを大事に思う気持ちです。
でもガマンすることでストレスを抱えて疲弊して、子どもに愛情をかけてあげられる心の余裕を失くしていたら、子どもにとっては悲しいことだなぁと。
子どもが一番必要としているのは、怒られないことではなく、親が自分のことをちゃんと見てくれていること、認めてくれていること、大切に想ってくれていることだから。
時には子どものためにガマンしなきゃいけないこともたくさんあります。
でもだから、しなくていいガマンに気づいて思い切って手放して、自分の心が少しでも楽になる方を選ぶことも大事。
わたしにとっては今回のことが、それでした。
土曜保育で人がゴロゴロ変わる環境で、息子にとってはストレスになるかもしれません。
でも、息子がもっと大きくなったら保育園に行くのをイヤと言い出すかもしれないし、多美子さんの講座も同じ内容、同じメンバーはない・・・と考えたら、今じゃないとできないこともあるし、今だからこそできることもあります。
自分のために時間とったら子どもを愛してあげる時間をちゃんととってあげること。
その大事なことを忘れずにいたら、根本にある息子を大事に思う気持ちを大切にしていたら、きっと大丈夫なんだと思います。
みんながホッと安心できる場所
~ひだまりの家サンポミチ~
ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。
さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として…
子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として…
あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として…
さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える
そんなあたたかな場所をみなさんと作っていきたいと思っています。
ぜひ遊びに来てくださいね。
ひだまりの家サンポミチHP
hidamarinoiesanpomichi.jimdofree.com