日記塾~ひだまりの家とわたし~

「大人は理不尽である」…親の理屈と、子どもの気持ちについて考えたこと(自戒の念をこめて)

「食べ物を粗末にしちゃいけない」「物は大切にする」などの親の言う“理屈”。

最近、この“理屈”と“子どもの気持ち”について考える出来事がありました。

大人は子どもの何十倍も力があります。

だからこそ、大切にしたいと感じていることがあります。

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息子をギャン泣きさせてしまった出来事

先日、息子(2歳児)と二人で公園で遊んで、家に帰ってきたときのこと。

息子のズボンが砂だらけだったので、「このズボンで家の中を歩き回られちゃ困る!」と、靴を脱がしてすぐズボンも急いでエイっと脱がしました。

すると、突然ズボンを脱がされたのがもの凄くイヤだったのか、顔を真っ赤にするくらい息子がギャン泣きしだしました。

腕を左右にブンブンと振り回して、体全体で怒りをあらわにするくらい泣き叫ぶ息子。

半ば疲れていたわたしは、耳をつんざくような泣き声にイラっときて「ズボンが汚れてたから脱がしただけだよ!家の中が汚れるやろ!」と息子に言い聞かせるように強く言いました。

しかし強く言えば言うほど泣き声は大きくなり(当たり前ですが)、「ズボン脱がされたのが相当ショックだったんだな」と思ったものの、イライラしているわたしは「ハイハイ悪かったね!ごめんね!」微塵も謝る気もなく息子の背中をさすりながら言葉だけ謝りました。

それからしばらくして、その出来事のことを思い出して、考えました。

息子の立場からみて、わたしのした行動はどんなふうに感じただろうなぁと。

想像して感じたのは、“怒り”と“悲しい”という感情。

わたしが子どもの頃に感じていた「大人は脅威で、理不尽だ」という気持ちでした。

「大人は脅威で、理不尽である」

わたしが小さいころ、父との記憶でなぜかよく覚えている出来事があって。

それは、夜ごはんを食べているときに、わたしと父が「卵かけご飯を食べたい」と言いだしたときのことでした。

さっそく二人で作ったのですが、先に食べだした父が「ウッ」と口からご飯を吐き出しました。

どうやら卵が古かったらしく、生では食べられそうにないとのこと。

でも、食べたくて仕方がなかったわたしは「食べたい」とごねました。

父は「卵が古いから食べない方がいい」と言い、食べれないとわかったわたしはそれでも「食べたい食べたい」と泣きわめきました。

すると父から、なんて言われたかはハッキリとは覚えていませんが、「じゃあ食べたきゃ勝手に食べろ!」と、突き放されるように強く言われました。

わたしは、父から冷たく突き放され、卵かけご飯は食べたくても食べられず、泣いても気持ちのやり場がなくて悲しかったのを覚えています。

滅多に怒る父ではなく、これが唯一覚えている父から怒られた記憶。

でもなぜかこの出来事をよく覚えていて、今回の息子との出来事でこのことを思い出し、「大人の理屈」「子どもの気持ち」について考えました。

大人は子どもの何十倍も力があり、子どもは抵抗したくでも抵抗できません。

さらには気持ちもわかってもらえず、力でねじ伏せられてしまうことがたくさんあります。

わたしが息子にしたことも、「家の中が汚れるから」という理屈があったわけですが、それはわたしの勝手な理屈だし、息子には理屈がまだわかりません。

自分の意思に反していきなりズボンを脱がされたら、そりゃもの凄くイヤだし憤慨するに決まってる。

でも、力で抵抗できず気持ちも受けとめてもらえなかった息子は、大人の力をどれほど脅威に感じ、どれほど悔しくてたまらなかったことだろう。

顔を真っ赤にするほどギャン泣きしていた息子の姿に、わたしが子どもの頃に感じていた気持ちを感じて、心が痛くなりました。

子どもの気持ちに共感し、素直に謝れる親でいたい

とはいえ、なるべく子どもの気持ちを優先させてあげたいけど、そうはいかないことの方がたくさんあります。

たとえば車が通る道で、手を繋いで歩いていた息子がわたしの手を振り払って走り出したときは、危ないので強制的に抱っこして移動します。

歩きたい息子はめちゃめちゃ嫌がるけど、これは安全のためには仕方のないこと。

純粋な好奇心でいっぱいの2歳の息子には、危険なことはわからないし、ある程度力で行動を制限させなきゃいけないことはたくさんあります。

せめて大人の力を発動するときは、なるべく道理にかなったときだけにしたいと考えてはいますが、判断基準はあいまいだし、つい感情的に抑えこんでしまうことがたくさんあります。

たとえば、ごはんを床に落とされたり、コップの飲み物を床にダ~とこぼされたりしたとき。

「食べ物は大切にするべき」とか「床が汚れるから」という理屈はありますが、息子にとっては“手から物を落とす”という経験を積んでいる行為でもあります。

「食べ物を大切にするべき」という理屈を理解するのには時間がかかるので、息子が理解するまで待ってあげること、根気よく伝え続ける必要があることだと思ってはいるものの・・・。

疲れてると、ついカチンときて感情的になり「落とすならもうごちそうさまするよ!」と強制的にお皿を取り上げてしまうことがたくさんあります。

強制的に取り上げられた息子は、怒って大声で泣きわめきます。

こういうとき、「食べ物は大切にすべき」という理屈をわからせたいという気持ちよりも、息子が思い通りに行動してくれないことにイライラしてしまう気持ちの方が強いなと思います。

なるべく、理不尽に息子を力で抑えこんでしまうことはしたくない。

でも、息子が理解するまで待ってあげたり、根気よく伝え続けることは、めっっっっっっちゃくちゃむずかしく、菩薩のような広い心が必要で、たぶんムリです。

なので、せめて息子の心を傷つけてしまったときは、素直に謝れる親でいたい。

イライラしているときは心がひねくれまくっているので、素直に謝ることも正直言ってむずかしいですが。

そういうときは、いったん一呼吸おいて感情的になっている自分から離れて、息子の気持ちを汲み取るようにしたい。

そして、「そうだね、○○したかったんだもんね」と共感してあげるようにしたい。

それから、「ごめんね」と素直に謝ったり、「でも△△だから」と客観的に伝えていけるようにしていきたいです。

自分が全然できていないので、自戒の念をこめて。

【自分の感情や意志を受け入れてもらえること】は、自分を価値のある存在だと認めてもらうことにつながると思います。

感情を受けとめてあげることは、存在を認めてあげることにもなる

後日談。

ある日、息子が空気清浄機の水が溜まるタンクを取り出して、遊んでいるのを発見したときのこと。

飲める水ではないし、水浸しになったら困るので、息子からタンクを取り上げました。

取り上げられた息子は抗議してギャン泣き。

そのとき、わたしは息子を抱きしめて背中をさすりながら、「遊びたかったんだよねぇ、でも飲める水じゃないから誤って飲んだらいけないからね、ごめんね、…遊びたかったねぇ」と、息子の気持ちに共感しながら、謝るのを繰り返しました。

すると、腕の中で大泣きしていた息子がしばらくしてスゥっと泣き止み、機嫌をもどしました。

ガミガミ言っていたときと比べたら、息子の泣きやむ早さは雲泥の差で、思わず目を丸くしました。

【感情を受け入れてあげることは、その子の存在を認めてあげることにもなります】

わたしは、以前ひだまりの家サンポミチのカウンセラー多美子さんの講座で【感情】について学び、こう教えてもらいました。

その講座の中で、とあるおばあちゃんと女の子のエピソードを聞いたのですが、それが今回わたしが息子と体験したこととまったく同じで。

つまり、子どもの感情を受け入れず「○○だから」と理屈ばかりわからせようとして、子どもの行動がどんどん悪化していたのが、子どもの感情を受け入れてあげることで、子どもの行動が劇的に変わっていった、ということ。

今回、息子の気持ちに共感したことで態度が激変したのを目の当たりにし、「感情を受け入れてあげるだけでこんなに変わるんだ!!」とビックリしたのと同時に、【感情】がどれほど大事かということを実感しました。

【本当の感情を吐き出せること】、【本当の感情を受け入れてもらえること】は、その子の存在を認めてあげることでもあり、子どもが良い自我状態を形成していくためにすごく大事なこと。

わたしも、もしあのときの「卵かけご飯が食べたい」という気持ちを受け入れてもらえていたら・・・これほど傷ついた悲しい思い出として覚えていなかったと思います。

たぶん、子どもにとって本当に重要なことは、実際に卵かけご飯が食べられることではなく、自分の気持ち(=存在)を大切にしてもらえること。

だから、気持ちを受け入れてもらえた息子は安心してすぐに泣き止んだのだと思います。

でも、頭ではわかっていても、息子の感情を心から受け入れることは、なかなかむずかしいことです。

イライラしているとつい息子の感情を無視したり、力で抑えつけてしまったり、そんな自分に後から自己嫌悪して反省して…を繰り返し、余計ストレスが溜まってしまう悪循環にハマっていました。

わたしの場合、息子の感情を受け入れてあげるには、心に余裕があることが必要。

自分の心をなるべくフラットな良い状態に整えておくことが、今のわたしには必須条件。

子育てをしていると「こうしたい」と思っていてもできないことが山のようにありますが、そんな自分を責めるよりも、自分を大切にしようと意識している方が、「こうしたい」と思っている方へ近づいている気がします。

ガミガミ言うよりも素直に息子の感情を受け入れて謝る方が、息子が早く泣き止んでくれるので、わたしも圧倒的に心が楽だということがわかりました。

すべてが「息子のために」ではなく、「自分が楽でいるために」息子の感情を受け入れようと考えることもアリだと思う。

なるべく、心がゆったりと良い状態でいることを意識している毎日です。

 

 

みんながホッと安心できる場所
~ひだまりの家サンポミチ~

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熊本県宇土市にある、ひだまりの家サンポミチ。

ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。

 

さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として…

子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として…

あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として…

 

さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える

そんなあたたかな場所をみなさんと作っていきたいと思っています。

ぜひ遊びに来てくださいね。

 

ひだまりの家サンポミチHP

hidamarinoiesanpomichi.jimdofree.com

 

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