日記塾~ひだまりの家とわたし~

息子へのイライラガミガミがとまらない。本当は毎日笑って過ごしたい。

最近また息子(2歳10ヶ月)とのコミュニケーションに悩んでいました。

「こうしてほしい」わたしの気持ちと、それがなかなか伝わらず真逆のことをしてくる息子。

次第に思い通りにしてくれない息子の行動にイライラし、毎日ガミガミ怒るように。

そのうちちょっとしたことでもイライラガミガミしてしまい、そんな自分を「全然母親らしくない」「息子にとって悪影響だ」と責め、どんどん落ち込んでいきました。

本当はイライラガミガミしたくない。

毎日笑いかけたい。

でもイライラガミガミがとまらず、笑いたくても笑えない毎日・・・。

どうしたらこの負のループから抜け出せるのか?

 

どっぷり穴にハマっていた自分からすこし離れ、俯瞰してみてわかったこと、イライラガミガミから抜け出すことができた大切な気づきについて書いてみました。

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息子へのイライラガミガミがとまらない

息子へのイライラガミガミがとまらない。

『魔の2歳児』という言葉がアタマを何回もよぎるくらい、息子とのコミュニケーションに悩んでました。

子どもが思い通りに行動しないことは当たり前だし、頭ではわかっているんだけど。

たとえば、お風呂からあがったら体を拭く・ごはんを食べ終わったら手を拭く・車でチャイルドシートに座るなどの日常的な行動。

「〇〇してね」「〇〇しようね」と言ったことをイヤがってやらない。

言うからダメなのかと思ってなにも言わないでみても、やらない。

注意したり怒ったりしたら、もっとやらない(手あたり次第物を投げたりして余計に悪化する)。

むしろ、わざとかのように笑いながら、してほしくないことをしてくる。

そんな息子の行動にイライラがどんどんたまり、ちょっとしたことでも怒るようになってしまってました。

子どもが思い通りに行動しないことは当たり前だし、頭ではわかっているんだけど(2回目)。

毎日イライラガミガミしてしまっては、そんな自分への自己嫌悪もどんどんつのる。

「今日からもう怒らないようにしよう!」「これからは怒らないようにしよう!」と何度も決意しても、結局怒ってしまうことの繰り返し・・・。

イライラガミガミがとまらず、心もギスギスして笑いたくても笑えなくなっていました。

もっと褒めたり笑いかけたりしてあげたいのに、できない。

こんなお母さん、イヤだな。

息子の寝顔を見ながら泣いたことも何回もありました。

どうしたらもっと優しくなれるのか・・・。

イライラガミガミしては落ち込む、という負のループから抜け出したくて、悶々と悩み続けました。

 

そんなとき、ひだまりの家サンポミチのカウンセラー高瀬多美子さんの『サンポミチ。親と子のかけ橋講座』を受けました。

多美子さんや受講されているみなさんの話を聞いていて、ハッ!と気づいたことがありました。

それは、前の記事にも書きましたが『自分を愛することができて、相手を愛することができる』ということ。

自分を大切にすることができて“大切にする”がどういうことかわかるし、“愛する”もそう。

自分にないものは相手にも与えられない。

思い返せば、自分の心が満たされていているときは、息子に対してもイライラせず受け入れることができていました。

大切なのは、まず自分の心を整えること・・・。

それから、自分の内面に意識を向けるようになりました。 

愛するってどういうこと?

そもそも、自分や子どもを愛することの「愛する」ってどういうことだろう(←むずかしく考えすぎる人)。

「愛する」は抽象的で、具体的ではありません。

自分を愛するとは具体的にどういうことなのか?

そんなことを考えていましたが、講座の中の【感情】についての話で、自分なりに理解したことがあります。

それは、【感情】と【思考】と【行動】はつながっているという話。

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「愛する」行動であって。

自分や息子を「愛おしい」と感じる気持ちは感情

息子へのイライラガミガミが止まらず、うまく笑いかけることができずに落ち込んでいたときは、【思考】や【行動】から自分を変えようとしていました。

だから、イライラがおさまっても長く続かず、また同じことを繰り返して悩んでしまっていた・・・。

【感情】から変わらなければ負のループから抜け出すのは難しい。

今自分が感じている【感情】は、心が勝手に感じているようだけど、心ではなく脳が作り出しているもの(脳の“大脳辺縁系”といわれる部分で、その中でも“扁桃体”が感情を司る重要な場所だそう)

わたしは、今自分が感じている【感情】について俯瞰してみました。

快と不快

喜び・怒り・悲しい・怖い、感情にはいろんな感情があるけれど。

生まれてすぐの小さなころ・・・まだ長期記憶もできないころに、自分を守るために使っていた2つの感情(感覚)に【快】と【不快】があります。

まだなにもできない赤ちゃんのころは、快・不快の感覚を使って自分にとって安心安全なものを振り分け、自分を守っていました。

不快なこと(お腹が空いた、オムツが濡れた、眠い・・・etc)をまわりの大人たちに快にしてもらうことは、「欲求を満たしてもらえた=存在を認めてもらえた」体験であり、その体験を積み重ねることで「人は安全だ=人は快だ」と感じれるようになります。

生まれてから体験とともにずっと刷り込まれてきた快・不快の感覚は、無意識に感情・思考・行動のパターンにつながっています。

ひとつの物事にたいして、快・不快どちらを感じるかは自分次第。

 

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息子にイライラガミガミしていたときの自分を振り返ってみると、息子の行動にたいして不快な感情ばかり感じていた(選んでいた)ことに気づきました。

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子どもの行動はムダが多いし、すぐヨコ道にそれるし、感情的で突発的で、ぜんぜん効率的じゃありません(当たり前だけど)。

それに、自分の思い通りにさせてもらえないとめちゃくちゃ泣きわめくし怒ります。

そんな息子の問題行動(わたしにとって不快な行動)ばかりにフォーカスし、自分の中の【不快】がMAXになってイライラガミガミしていたことに気づきました。

イライラガミガミしだすと、次から次へ不快なことばかりが目につき、どんどん負のループにハマってしまいます。

そして、息子だけじゃなく自分に対しても、不快なところばかりを感じてどんどん落ち込んでいきました。

「母親らしくない」「息子を大切にできてない」「こんな母親でごめん」・・・と自分を責めてばかりでした。

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人に短所があれば長所もあるように、不快なこともあれば快なことも必ずあるのに。

でも、イライラガミガミしていたときは、不快しか感じれなくなっていたなぁと思います。

イライラガミガミしたあとはその感情を引きずりがちで。

息子のちょっとした行動にもガミガミがとまらず、そんな自分に自己嫌悪がとまらず…どんどん穴にハマっていく感じでした。

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以前、多美子さんのカウンセリングを受けたときにこんなことがありました。

自分の良いところと悪いところを挙げてみて、「その割合は?」と聞かれて。

良いところが2で、悪いところが8と答えました。

すると、「良いところが2もあるよ!8をどうにかしようとするんじゃなくて、2を伸ばしていこうよ」と。

8ばかりを見て自信をなくし、自分を嫌いになっていたわたしには、2を大切にするという視点がなかったことに気づきました。

今回イライラガミガミしていた自分は、8ばかりを見てどうにかしようとしていたなぁと・・・。

それから、ちょっとずつ快を意識するようになりました。

たとえば、ほっぺがもちもちな息子を可愛いなぁと感じる気持ち。

たどたどしい息子のしゃべり方が可愛くて可笑しい気持ち。

息子が1人でできたことを褒めたい気持ち。

息子といる今の時間を楽しみたいと感じる気持ち。

快を意識することで、脳を切り替える。

不快なことしか感じれていなかった自分から、ちょっと離れてみる。

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そうやって快を意識していくと、不快な気持ちでいる時間が少なくなり、ちょっとずつニュートラルな自分でいられる時間が増えました。

快を実際に感じれなくても、快を意識しようとするだけで、不快な感情からちょっと離れられるのを感じています。

息子に感情的にイライラガミガミしてしまうことはもちろんなくならないけど(今日もお茶をこぼされただけでイラっとして「こぼしたらダメやろ!」と怒鳴ってしまった。たいしたことしてないのに)

イライラの穴にずんずんハマって、自分を責めて落ち込むループに落ちにくくなったというか。

切り替えがすこし早くできるようになったなぁと感じます。

それに、快を意識し始めてからフシギと笑えることも増えました。

息子にたいしてオモシロおかしく話したりふざけてみたりして(社会人になってかれこれふざけたことがあっただろうか?)、ちょっと子どもらしい自分を出せるようになったというか。

そんなタイミングで、保育園の先生からも「〇〇(息子)くん、最近表情がゆたかになりましたね!」と言われました(たまたまかもだけど)。

ほかのママさんたちと目を合わせられなかった理由

話はすこし変わりますが、ほかにも不快の感情が不快の思考・行動につながり、自分を悩ませていたことがありました。

それは、ほかのママさんたちとのコミュニケーション。

わたしは、公園で遊んでいるときにほかのママさんたちがいると、ことごとく目が合わないように避けていました。

息子(2歳)の方が先に「コンニチワー」と挨拶するので、自分の行動の違和感に気づきました。(保育園のおかげで挨拶の習慣が身についている息子)

なんでこんなにほかのママさんを避けてるんだろう?

もともと自分から挨拶したり会話したりするのは苦手で、してこなかったしママ友もほぼゼロなわたしですが。

極端に避けている自分の行動に気づいて、「なんで避けてるんだろう?」とふと疑問に思いました。

自分はなにを避けているのか?俯瞰してみると・・・

ほかのママさんたちから“母親らしくない”と責められるのではないかと怯えていることに気づきました。

気づいたときには「え?」と思ったし、自分でも意味不明なんですけど・・・。

本気でそう思い込んでいる自分がいることに気づきました。

目を合わせられなかったときのわたしは、毎日イライラガミガミしてて子育てに全然自信がもてなくて。

頭の中でずっと「母親に向いてない」「子どもを愛せてない」「子どもにとって悪影響だ」と自分を責め続けていました。

公園で遊んでるほかのママさんたちのように、ニコニコ朗らかに笑いかけてないし、優しい声で話せていない。

「わたしは全然母親らしくない」「子どもを全然可愛がれてない」と落ち込み、そんな自分を見透かされて責められると感じて、目を合わせられませんでした。

これまでの人生経験で、人によって「人が好き」と感じる人がいれば、「人が怖い」と感じる人もいます。 

人付き合いには性格ももちろん影響しているだろうけど、快・不快の感情も、自分の無意識の行動パターンにつながっています。

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わたしは、ほかのママさんにたいし不快を感じて(選んで)、事実がそうであるかに関わらず、「責められる」と思い込んで避けていたんだなぁと気づきました。

冷静に考えれば初対面のママさんから責められるなんてありえないのに、本気でそう思い込んでいたんだからすごい(いろんな意味で)。

人の目が必要以上に気になる・責められていると感じてしまう・・・それはわたしの長年のクセで、その原因はひとつではなく、たぶんいろいろあると思うのでここでは深く掘り下げませんが。

不快な感情から不快な思考・行動をしていて、事実をゆがめて見ていた自分のクセを発見しておどろきました。

もしかしたら、これまでもそうやって思い込みで壁を作って、人を避けてしまっていたことがあったかもしれない。

そのことに気づいてから、自分の感情と事実を客観的に見るよう意識するようになりました。

後悔しない子育てなんてきっとできないけど

以前、子育てで悩んでいたことをブログに書いたとき、先輩ママさんから「もしもう一度子育てを最初からするなら、楽しみたいです!」」とあたたかいメッセージをいただいたことがありました。

それから、「わたしも子育てを楽しみたい」、「後悔したくない」、「今を大切にしたい」と思うようになりました。

でも、気づけばまた、笑いたくても笑えない暗い毎日を送っていました。

頭でわかっていても、息子に心から笑いかけられなくなってしまうときがたくさんある。

たぶん、これからも後悔することはたくさんあるだろうな、と思うようになりました。

「もし10年後、今を振り返った時になにを後悔するだろう?」と想像してみたとき。

「息子との毎日をもっとたくさん笑って過ごしたかった」という後悔が浮かびました。

後悔しない子育てはできないし、笑えない日もこれからもあるだろうけど・・・。

そういう日を、かぎりなく少なくできたらいいな。

だから、不快な感情にどっぷりハマらずに、快を意識して切り替えがはやくできるようになっていきたい。

息子とたくさん笑って過ごせる日を1日でも増やしていきたい。

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自分にたいしても、頭の中を不快な感情でいっぱいにするのではなく、快の感情をたくさん増やしていきたい。

自分の頭の中が安心・安全じゃないと、息子にとっても安心・安全な居場所になれないから。

自分で自分を虐待したらダメだ。

それに快を意識することは、わたしにとっても息子にとっても『存在そのものを認める行為』に近づくのだと気づきました。

快には好きか嫌いか良いか悪いかでなく、存在そのものを認めている(存在に価値がある)感覚があるように感じます。

息子のぷにぷにほっぺを可愛いなぁと思う気持ち。

今を大切にしたい・笑っていたいと思う気持ち。

心地よい感情で、頭の中を満たしたいと思う気持ち。

そんな気持ちにフォーカスすると、行動も少しずつ変わってくるし、笑えることも増える。

存在そのものを認めることは、それこそ『愛』なのではないかな。

 

不快も、悪い感情のようだけど本当は自分らしく生きていくために大切な感情なんだよなぁ。

自分の中の不快なところばかりを見て責めるのはよくないけど。

自分の感じている本当の不快に気づいて、できる範囲で少しずつ快に変えていくことは「自分を大事にすること」につながるのではないかな、と思いました。

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みんながホッと安心できる場所
~ひだまりの家サンポミチ~

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熊本県宇土市にある、ひだまりの家サンポミチ。

ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。

 

さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として…

子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として…

あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として…

 

さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える

そんなあたたかな場所をみなさんと作っていきたいと思っています。

ぜひ遊びに来てくださいね。

 

ひだまりの家サンポミチHP

hidamarinoiesanpomichi.jimdofree.com

 

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