普段は気づかないけど、生活も思考も無意識に子どもを優先にして考えています。
それは、子どもを思うからこそ、自然なこと。
でも、「お母さん」である自分と「わたし」との間にジレンマを感じることもあります。
自分らしさ、について考えたことを書きました。
“娘”から突然“お母さん”になった気持ち
息子が生まれてから、早2年が経ちました。
普段はまったく気づいていないのですが、生活も思考もいつのまにか無意識に息子を中心にして考えているなぁ、と思います。
たとえば、ごはんを食べに行くときも「息子が食べれるものがあるところ」や「座れる席があるところ」を無意識に候補に選んだり。
出かけるにしても、「お昼寝があるから○時までには帰ろう」と時間を細かく決めるようになったり。
息子が起きている時間は、なるべく息子にかまってやりたいので、スマホもパソコンもなるべく触らないようになったり(テレビはもともとわが家にないので観ない)。
“お母さん”になったんだから、子どものことを第一に考えるようになるのは自然なこと。
でも、それを100%自らの意志でやっているかというと、わたしの場合は「お母さんならこうあるべき」というイメージと、「これがしたい!」という自分の中の子どものような欲求との間で、ジレンマを感じながら“お母さん”をやっているときもあります。
「これがしたい!」という欲求にはさまざまなものがあります。
たとえば、「今コーヒーが飲みたい」とか「今これが見たい」みたいな、瞬間的に湧き上がる欲求は、パパっと満たしちゃったりガマンしてもそれほどストレスにならなかったりするのですが。
むずかしいのは、その欲求が「自分の人生にとって重要なこと」「大切なこと」「本気で好きなこと」だったとき。
そして、そんな欲求ほど、息子のこととの両立がむずかしかったりします。
以前そんなことがあって、めちゃくちゃ悩みまくり、「息子のために」とその欲求をおさえこんでいたのですが、知らずうちに心が疲れきってしまっていたことがありました。
子どものことを優先することが無意識のクセになってしまっているので(子どものことを想うからこそ)、自分の本当の気持ちをガマンしていることにすら気づかず、ストレスになってしまっていることがあります。
このときのわたしは、家事・育児・仕事…をたんたんとこなしていく同じような毎日が続いていて、子育てにも自信がもてず不安でいっぱいで、「楽しい」という感情すら感じれなくなってました。
【わたし】というものがなくなり、このままいくと、「息子が自立していったときに、わたしにはなにもなくなるんじゃないか」とふと思い、不安や焦りを感じていました。
この【お母さん】である自分と、【わたし】との間にあるジレンマについて、映画『Boyhood』(邦題『6才のボクが、大人になるまで。』)の中に出てくる言葉で、めちゃくちゃ共感できて胸に刺さる言葉がありまして。
それは、友人からの誘いに「子どもと一緒にいたいから」と断っている主人公のお母さんが、その友人と言い合いになったシーンでのこと。
行きたいけど行けないことにイライラ(悲しい?)しているお母さんが、友人にこう言います。
「わたしは“娘”からいきなり“お母さん”になったの!」
この「“娘”からいきなり“お母さん”になった」という言葉に、お母さんのいろんな気持ちやジレンマを感じて、その気持ちが痛いほどわかり、すごく胸に突き刺さりました。
このお母さんは、子どものことをすごく大切に想っています。
それと同時に、子どもを育てなければならない親としての責任や、突然自分の時間がもてなくなってしまったことへの憤りも感じてます。
その気持ちが、痛いほどよくわかる。
わたしのような、【1人時間が好き・子どもと遊ぶのが苦手・人の世話が苦手】な人間には、“お母さん”でいることがときにものすごくしんどく感じることがあります。
息子のことが本当に大切だし大好きなんだけど、だからといって自分のことを後回しにして息子のことを優先し続けるのは、やっぱりストレスに感じることもある。
笑いたくても笑えなかったり、息子に対してイライラしてしまうときもめちゃめちゃあります。
だからこそ、「お母さんならこうあるべき」というイメージに自分を縛りつけすぎず、子どもを想うからこそすべてを子どものためにガマンするのではなく。
また心から子どもに笑いかけられるように、たまに【わたし】の欲求を満たすのを許してあげることを大切に思う。
【わたし】を思い出す時間
この間たまたまYoutubeを見ていたら、ストリートピアノを弾いているピアニストの青年の動画が目にとまりました。
大好きな曲だったので思わず聴いてみたら、めちゃくちゃ感動しました。
なによりその青年がすごく楽しそうにピアノを弾いている姿に、すごく心が惹きつけられました。
自分の好きなテンポで、アレンジで、自由に弾いていて、自分らしさをためらいなく表現している。
そして、自分らしさを通じて人の心を動かし、交流が生まれ、心地よい一体感やあたたかい空間が生まれていく。
『自分らしく生きる』ってこういうことなんだなぁ、素敵だなぁ、と心ゆさぶられました。
息子には自分らしく生きてほしい。
だから、わたしも自分らしく生きて、「自分らしく生きられるんだよ」って伝えられるわたしでありたい。
そのためにも、今はスキマ時間でも【自分の時間をもつこと】を大切に思います。
以前は、息子が起きている間はなるべく息子と関わるようにして、息子が寝ている間に家事をしたりしていました。
でも、なんでもかんでも「息子のために」とガマンしないようにし、息子が寝ている時間は家事がどれだけたまっていようが(キッチンがどれだけカオスになっていようが)家事には手をつけないで自分のやりたいことをやるようになりました。
↑の記事を書いてから約半年経ちましたが、まだまだ余裕がなくなることはあるけど、だいぶマシになったなぁと思います。
“好き”や“楽しい”は、心に余裕をとりもどすと感じられるようになるんだって気づきました。
心に余裕をとりもどす方法はいろいろあると思いますが、わたしにとってのそれは、
自分の本当の感情に気づくこと。
そして、その感情を認め、吐き出してあげること。
本当の感情は気づきにくいものですが、気づいて吐き出してあげると、スゥっと消えていきます。
逆にニセモノの感情は、吐き出しても消えないものです。
最近、息子や旦那さんに対してイライラが止まらなかったとき、ガミガミ言えば言うほどイライラが収まらず、ドツボにハマって心がどんどんすさんでいきました。
ですが、自分を俯瞰してみたときに、大きな不安を感じていることに気づき、また自分で自分を責めていたことにも気づきました。
その感情を認め吐き出せたことで、ドツボにハマっていた状態から少しずつ抜け出すことができました。
心に余裕がなく、相手をどうにかしようとしているときは、大抵自分の中に抱えているべつの問題があります。
その問題に目を向け、本当の感情に気づき吐き出してあげることが、心をふぅっと楽にする方法です。
心の余裕をたもつことは、「好き」や「楽しい」「おもしろい」を豊かに感じるためにも、子育てにおいても、すごく重要なことだと感じていて、今のわたしの課題のひとつ。
雨上がりに濡れた草木に夕陽がさして、露が金色にキラキラと輝いているのを見て「美しいなぁ」と感じたとき、「美しい」と素直に感じれた自分をよかったと思えました。
最後に、『Boyhood』はマジで深くていい映画なので、おススメです。
母子家庭で育ち自分も親になった今のわたしだからこそ、映画の中に出てくるシングルマザーのお母さんの気持ちや、主人公の子どもの気持ちが痛いほどわかり、「親が子を想う気持ち」と「子どもが親に本当に求めているもの」について考えさせられる映画です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
みんながホッと安心できる場所
~ひだまりの家サンポミチ~
ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。
さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として…
子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として…
あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として…
さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える
そんなあたたかな場所をみなさんと作っていきたいと思っています。
ぜひ遊びに来てくださいね。
ひだまりの家サンポミチHP
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