日記塾~ひだまりの家とわたし~

子育てが思い通りにいかずイライラが爆発して大泣きした日。新型コロナに対する不安と。

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子育てが思い通りにいかず大泣きした日

2020年4月で、息子が2歳になりました。

1歳の誕生日では、まったく心の余裕がなく「もっと○○してあげればよかった」「こんな母親でごめんよ」と後悔ばかりしてしまったドン底の誕生日でしたが。

2歳の誕生日は、1日中ゆっくりと2人で過ごすことができ(旦那さんは仕事でした)、穏やかな気持ちでお祝いすることができました。

↑スイーツ作りがめっぽう苦手だけどがんばって作ったバナナケーキ。飾りつけのセンスのなさよ。

心の余裕がなくなると息子にキツく当たってしまうため、心の余裕を保つことを意識して過ごしてきた数ヶ月。

わりとノンストレスで家事・育児・仕事をたんたんとこなすことができていました。

しかし、誕生日を過ぎて数日したころから、子育てが思い通りにいかないと感じることが多くなり、イライラガルガルすることが増え始め。

それからは、負の坂道を転がり落ちるがごとく、どんどん負のスパイラルに陥っていきました。

たとえば、

息子の行動を注意する→言うことを聞かない→ムリヤリやめさせる・阻止する→ギャン泣き→イライラ・うんざり・自己嫌悪・反省

とか、

息子の行動を注意する→言うことを聞かない→放置→食べ物や皿を床にポイポイ落とす・物をぶん投げられる→イラァッッ!!とするけど我慢→疲れて無感情・無表情になる

みたいな。

抜け出したいけど抜け出せない負のループにハマってしまい、思い通りにいかないことにかなりストレスとイライラが溜まりまくってました。

そのうち、旦那さんのちょっとしたことにもイライラしたりカチンときたりしてしまうようになり。

ネガティブな方にフォーカスがぜんぶ向いてしまっていて、「あれもダメ」「これもダメ」状態になってしまってました。

これはいかん、末期症状だ!

1人の時間をつくってリフレッシュしたいけど、そんな時間もとれない状況だったため、子どもとの関わり方を見直そうと考えました。

そして、前からずっと気になっていた、とある育児書を手に入れました。

わたしがよく読んでいるブログのママさんが紹介されていた本で、「子どもの困った行動に対して理屈で具体的に説明されているのでわかりやすい」、と評されており、ずっと読みたいなぁと思っていた本です。

で、読んでみました。

・・・

・・・

・・・

読んでみたものの、ピンとこない!

子どもの行動について具体的に説明されていて、「2歳児の発達段階は~~だから、○○が理解できないので、□□と言葉をかけてあげましょう」、とわかりやすく書かれてあるのですが。

なぜか、全然頭に入ってこない。

試しにそのとおりに息子にアプローチしてみるものの、やりながら自分で自分をしらじらしいと感じてしまい・・・

そのため、息子の行動も変わらず、「イヒヒ」と笑いながら食べ物をポイポイ床に落としてくる(わざとじゃないだろうけど、わざととしか思えん)。

ムカつくやらイライラするやら、思い通りにいかなくて空しいわで、これまでの感情が溜まりまくっていたわたしは、感情が爆発してうわぁー!と大泣きしました。

布団にもぐりこんでうおー!と大泣きするわたしに、そばまでやってきて笑いながら覆いかぶさってくる息子。

まるで嘲笑っているかのようだ!

そのまま2人で昼寝したのですが、いっぺん大泣きしてスッキリしたわたしは思いました。

わたしに今必要なのは、理論や方法じゃない、と。

自分に対してできないことは息子に対してもできないし、自分がもっていないものは相手に与えられない。

まずは、自分の心を整えることの方が先だと。

自分の芯がしっかりとしていて、自己肯定ができていれば、自然と子どもへの良いアプローチはついてくるものではないか、とフト思いました。

それができたうえなら、理論や方法を学ぶことに価値があると思うけど、今のわたしは土台がしっかりできていないので、うわべだけで言葉や行動を変えてもほとんど意味がない、と。

ということで、その育児書は今は脇に置いておくことにしました。

心の余裕をなくしていた原因に焦点を当ててみた

息子にイライラガルガルすることが増えてしまったのは、自分自身の抱える大きな不安が原因だったと、俯瞰してみて気づきました。

その不安によって心の余裕がなくなって、思い通りにいかない息子にイライラガルガルしてしまったんだな、と。

現に、心の余裕があるときは同じことをされても、感情的にならず客観的に対応できていたから・・・。

わたしの抱えていた大きな不安は、

ひとつは、新型コロナウイルスにかかってしまったら・・・という不安。

もうひとつは、自分のしていることはこれでいいのか・・・という不安。

ブログを書いている今は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、全国に緊急事態宣言が出されています。

わたしの住んでいるところは大都市で、最初に緊急事態宣言がでた7都府県のうちのひとつ。

現在パート勤務しているところは小売業のため、営業休止にはならず、今も保育園に預けながらパート勤務しています。

1ヶ月前ごろは、まだ情報に疎く「万が一息子にうつったら・・・」ということを考えると怖くて怖くて、住んでいる同じ区内で感染者が出たときは、まるで死神がすぐそこまで近づいてきているかのような恐怖を感じました。

でも、生活のことを考えると、仕事を休むという選択肢はもてず。

うつるのは怖い、でも収入ゼロになるのもキツイ・・・と不安と恐怖でどうにかなりそうだったわたしは、情報を取捨選択するようにしました。

過度に不安をあおる情報は避け、客観的な事実や安心させてくれる情報をキャッチするようにしました(子どもの重症化率もめっちゃ調べた)。

そうしていくうち、過度に不安がることはなくなり、「どれほど不安になったところで、今自分にできる行動は自粛・予防・3密を避けることくらいである」ということにも気づかせてもらい、客観的に考えることもできるようになりました。

むしろ収入が減って生活が困窮してしまう人たちの問題もかなり深刻で、働けるわたしや旦那さんはラッキーな方だとすら思ったりもしました。

でもそれは、同居の家族に重篤化するリスクの高い人がいないからそう思えるだけで・・・。

もしわたしが感染してしまったら、職場の人たちや、保育園の先生たちや子どもたち、またはどこかですれ違った知らない人たちにうつしてしまっているかもしれません。

その人や、その人の同居する家族の中に、重篤化するリスクの高い人がもしいたら・・・

職場や保育園で感染者が出たときに、社会からどんな被害を受けるか・・・

営業を停止せざるを得なくなったときに、職場の人たちの収入は・・・保育園の先生たちは・・・同じ保育園に通う保護者の方々の仕事は・・・子どもたちの行き場は・・・

と、「もしも」を想像していけばキリがなく、出口の見えない大きな不安が湧いてきました。

そしてこの不安は、事態が収束するまで働き続ける間、ずっと消えないものです。

今のわたしは保育園に子どもを預けて仕事に出ているけど、この行動に100%責任をとれるかというと、ハッキリ言ってとれないし、「わたしの行動はこれでいいのか?」と、自分の行動に自信ももちきれていません。

収入のために今は働くことを選んでいるけど、それはとても個人本位な選択だし、保育園への感染リスクを考えれば(社会を優先に考えれば)家庭保育に協力すべきなのだと思う。

でも、生活のためにはお金が切実に必要なわけで。

そんな思考をグルグルとくり返しながら、とにかく感染しないよう守るべき行動はしっかりと守って、仕事を続けている今です。

たぶん、今働いている人は誰しもが同じような不安を抱えているんだと思うのですが。

ウイルス自体よりも、それをとりまく人たちや社会への影響の方が怖い。

早くワクチンが開発されるなり、集団免疫を獲得するなりして、新型コロナウイルスがインフルエンザと同じくらいの扱いになる世の中になってほしい。

もうひとつ、自分を追い込んでしまっていたことがありました。

それは、いつのまにか「○○しなきゃ」「○○しなければならない」で頭の中がいっぱいになっていたこと。

この未曾有な状況は「働き方を見直すときだ」「変革を起こすときだ」などといろんな情報を目にするにつけ、イノベーションの波が押し寄せているのを感じるたびに、いろんな意味で「わたしはこのままでいいのか?!」と焦りや不安にあおられていました。

冷静に考えて、大げさに言えば「○○しなきゃいけない」なんてことないわけで・・・

いったんそれらを頭の中からポーーーンとおろし、真っ白にしたことで、心の余裕を少しとりもどすことができ、まわりの声ではなく自分の声を聞けるようになりました。

以前のわたしのままだったら、たぶん不安と恐怖に打ちのめされて、自分で気づいたり考えたりすることを放棄して、誰かの意見や言葉に頼りきったり、頭の中で勝手に作った妄想でストレスにやられていた気がします。

それくらい、客観的に考えられず、「○○さんがこう言うから」「○○さんがこう思うかもしれない」とまわりの人の意見や感情で動いて、自分という軸をしっかりともてていなかったわたしでした。

でも、ひだまりの家サンポミチのカウンセラー多美子さんとたくさん話し、講座を受け、自分を変えるためにカウンセリングを受け、じっくりと自分自身と向き合ってきたことで、ゆっくりと着実に強くなった自分を感じています。

こんな状況だからこそ、自分の軸をしっかりもつことを必死に考えることができ、強制的に鍛えられた気もします。

自分で気づけるようになったこと、客観的に考えられるようになったことは、ほんのちょっとのことだけどわたしにとってめちゃくちゃ大きな進歩!

自分で自分を認めることが苦手でしたが、いつのまにか変化していた自分に気づくと、自然と自分を認めることができます。

『自分で気づき、変わりたいと思ったときから自分を変えることができる』ということは、多美子さんが一貫して伝え、教えられていること。

『そのための大きな一歩は、【気づく】こと』だと教えてもらって、その言葉の意味が今ではすぅっと腑に落ちています。

わたしの歩みはとてもゆっくりですが、着実に変化していて、元の自分にもどらない。

この“元に戻らない”ことが、本当にスゴイところだと感じていて。

それは、多美子さんの言葉の中にさりげなくうながされる気づきに、ハッと“自分で”気づけた経験を積み重ねているからなんだと思います。

なんにしても、自信をもつこと、自己肯定感をもつことは、ものすごく大事だ!

息子をどうにかしようとするのではなく、まずは自分のことを。

ちょっとずつ自分を強くしながら、心の余裕をもちながら、人にやさしくしながら、日々を過ごせるようになってきたいです。

追記

「早くワクチンが開発されるなり、集団免疫を獲得するなりして、新型コロナウイルスがインフルエンザと同じくらいの扱いになる世の中になってほしい。」

↑と書いてしまったけど、あまりにも他人任せで思いやりのない言葉だったなと反省しました。

ワクチンの開発に日々取り組まれている方、集団感染が発生しないよう日々対策に取り組まれている方、感染のリスクのある中医療に努めている方、目に見えないところでがんばっている方々がいるということを、考えられていなかった・・・です。

突然不自由な状態になげこまれ、不安やストレスを感じているのは、みんな同じ。

こういう状況だからこそ、自分にできないことにあーだこーだと文句を言ったり不平不満を言ったりせず、今自分にできることに集中し、「大丈夫ですか?」と他人の気持ちを思いやれる人でいたい。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

みんながホッと安心できる場所
~ひだまりの家サンポミチ~

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熊本県宇土市にある、ひだまりの家サンポミチ。

ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。

 

さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として…

子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として…

あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として…

 

さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える

そんなあたたかな場所をみなさんと作っていきたいと思っています。

ぜひ遊びに来てくださいね。

 

ひだまりの家サンポミチHP

hidamarinoiesanpomichi.jimdofree.com

 

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