4月から新しいクラスになって、保育園に行くのをぐずるようになった息子
- 息子が保育園に行くのをぐずるようになった
- 「おりこうさん」すぎる息子・・・わたしのせい?
- 環境が変わることのインパクトは大きい
- 0を100にするのではなく、100を120や130にしていく
- 息子の「イヤ」を認めてなかったことに気づく

息子が保育園に行くのをぐずるようになった
4月になって。
0歳児から入園していた息子は、今年で保育園3年目。
3歳児クラスになり、担任の先生も新しい先生に変わりました。
急に先生が変わったら混乱するかなぁと思い、「今日で〇〇先生と最後だね。来月からは新しい先生だね」と言い聞かせてました。
でも、3歳に満たない息子には、そのことを理解するにはまだむずかしく・・・。
4月になり、新しい担任の先生に変わってから数日後。
息子が、保育園に行くのをぐずるようになりました。
保育園の駐車場に着いても車から降りようとしない。
保育園までの途中の砂利道で座りこむ。
入り口のドアの前でもじもじする。
・・・
これまで、入園した当初の慣らし保育以外は、なんの抵抗もなく元気に登園していた息子。
そんな息子のはじめての様子に、「やっぱり先生もクラスも変わってイヤなのかな・・・」と気になりました。
でも、仕事があるので保育園に預けないわけにはいかない。
それに、もたもたしてると仕事に遅刻してしまう。
息子のことが気になりつつも、「ほら、行くよ!」と毎朝急かしてなんとか保育園に行かせてました。
迎えに行ったときはいつものように元気だったし、そのうち慣れるだろう、慣れたら大丈夫、と思いつつ。
そうしてむりやりなんとか保育園に行かせ続けて、4月の終わりになったころ。
いつものように砂利道でうずくまったので、わたしが先にずんずん進もうとしたとき。
息子が、ついに我慢していたのをこらえきれなくなったように、立ち上がって「うあぁぁぁぁあん!」と泣きはじめました。
そのときの息子の泣き声と表情は、本当に忘れられない泣き方で。
これまで精一杯こらえていたのが痛いくらい伝わってくるほど、助けを求めるような泣き声でした。
それは、3歳児の泣き声のイメージとかけ離れた、悲しくて力のない泣き声。
その泣き声を聞いて、わたしは、息子が想像以上に苦しんでたこと、息子の様子を気にしていたつもりだったけど、息子のことをきちんと見ていなかったことに気づきました。
泣き声に気づいて先生も来てくれて、先生に抱っこしてもらった息子は少し落ち着きました。
その先生は、担任ではないけど入園当初から知っている馴染みの先生。
先生と話し、息子も体重を預けて抱っこされていたので少し安心しました。
息子の様子を気にしつつ、その日は胸が張り裂けそうな思いがしながら保育園を後にして、泣きながら仕事に向かいました。
息子があんなに我慢してたことに、なんで気づいてやれなかったんだろ?
毎日毎日、時間に追われて息子をむりやり急かして行かせてた。
家に帰ってからも、家事をこなすばかりで息子のことをかまってやれてなかった。
むしろ、最近全然笑えてなくて、怒ったり注意してばかりで、息子に対してイライラの感情を出しっぱなしだった。
もっと認めたり笑いかけたりしたいのに、できてなかった。
泣きながら車を運転しながら、自分を責めました。
今までわたしがなんの心配もなく仕事に行けてたのは、息子が毎日元気に登園してくれていたおかげだったんだ。
それは、当たり前のことじゃなかった。
ほかのお友だちは変わった様子を聞かないし、クラスが変わってぐずるようになったのは息子だけ・・・。
わたしの愛情が足りてないから、息子は新しい環境に不安になるのかな。
愛されてるって充分に思えてないから、我慢してがんばっちゃうのかな。
息子が泣いたのは、わたしのせいだ。
「おりこうさん」すぎる息子・・・わたしのせい?
息子は、保育園の先生からよく「おりこうさん」だと言われました。
新しい担任の先生からも、すぐに「おりこうさんですね!」と言われるほど。
先生の言うことをよく聞くし、行動も早く、リーダー的な存在だと。
それがうれしいと感じる気持ちと反面、まわりのことをよく見すぎていることが心配になる気持ちもありました。
先生の言うことを聞かな過ぎても心配になっただろうけど、聞きすぎてても心配になる。
まわりの人の気持ちを汲みすぎたり、大人から怒られないように気を配って動いているのかなぁと。
息子を見ていて最近気になるようになったのが、ムリして笑うこと。
それは、馴染みの先生も気づいていて、「まわりのことをよく見るから、がんばりすぎちゃうのかなぁ」と気にかけていました。
息子は、いつからまわりのことを見て行動するようになったんだろう?
いつからムリして笑うようになったんだろ?
わたしは、これまでの息子の接し方にまったく自信がもてませんでした。
息子にとって、愛されてるって感じれた日と傷ついた日は、どちらが多いんだろう。
きっと、やさしくできてない日の方が多い気がする。
本当はもっとやさしくしたいのに、イライラしたり怒ったり注意してばかり。
だから、息子はまわりのことをよく見て、まわりの気持ちを敏感に感じとるようになってしまったんじゃないか。
そう考えだすととまらなくて、息子が泣いた日から、自分を責めて落ち込みました。
自分を責めても、その先にはなにもない・・・。
子どもにとってママの笑顔は大事なのに、それができてない自分のことも、いつのまにか責めてました。
心から笑えているのと、笑わなきゃと思っていることには、雲泥の差があります。
わたしも息子も、がんばりすぎてる。
ちょっと息抜きした方がいい。
そんなタイミングで、大切な友だちのおうちに息子と2人で遊びに行く機会があり。
ゆっくり休んでリフレッシュしよう!と思いました。
環境が変わることのインパクトは大きい
お友だちのお家に遊びに行って。
わたしのことも息子のことも、とっても温かく迎え入れてくれて。
心がぽっかぽかになりました。
たくさん話し、
息子のこともたくさん可愛がってもらい、
わたしと息子のことをたくさん大切にしてくれて、
心のこもった手料理を食べ、
温かく受け入れてもらえて、
心がとっても満たされました。
お友だちと話していてしみじみ気づいたことは、環境が変わることは、ずっと大変なことだってこと。
大人だって、仕事や住む場所が変われば、慣れるまで大変だし時間がかかります。
でも「がんばらなきゃ」と思ってるから、なんとかできてるだけで。
3歳になったばかりの息子にとっては、環境が変わることがどんなに大きなことか・・・
去年は、担任の先生が変わってもなんともなかったけど、それはまだ幼かったから。
成長してものごとをどんどん理解できるようになってきたからこそ、環境が変わることの影響は大きいよな、と気づきました。
0を100にするのではなく、100を120や130にしていく
お友だちのお母さんが教えてくれたことで、とても心に残った話があって。
それは、子育てについての考え方のお話。
子どもはゼロで生まれてきて、ゼロを100にしてあげるのが子育てって考えてしまいがちだけど。
子どもは、100をもって生まれてきてる。
その100を120や130にしてあげようっていう子育ての考え方。
これは、ほかの国で取り入れられている子育ての考え方だそうなんだけど、
そのお話を聞いて、息子のことを想うと心がじぃんとしました。
息子は、わたしがどんなであろうが、いつだって笑いかけてくれるから。
わたしは、お母さんとしての自信を失くしてたし、息子から嫌われてるかも、とどこかで思ってて。
どんどん自己嫌悪で苦しくなっていたけど。
息子のもっている愛は、そんなもんじゃないなぁ、と。
わたしは、自分のもってる愛のコップを自分で空っぽにしてた。
お友だちのお母さんが、目を細めて息子を見つめながら、
「いいね。お父さんとお母さんのことが大好きなら、それで充分だね」
とつぶやいたとき、
息子のもってる愛や、お友だちや、お友だちのお母さんからの言葉にたくさん愛を感じて、思わず涙が出ました。
自分の中の愛情のコップは、自分で満たさなきゃと思い込んでいたけど、
満たせないときは、だれかに満たしてもらってもいいんだな。
そうやって満たしてもらえたぶん、また大切な人に愛情をかけてあげられるようになるから。
息子の「イヤ」を認めてなかったことに気づく
お友だちのお家に遊びに行って心がぽっかぽかに満たされたわたしは、心の余裕を取り戻しました。
そして次の登園の日。
駐車場に着いた息子は、また車から降りようとせずしょんぼりしていました。
これまでのわたしは、「置いてくよ!」とか「バイバイ!」と言って離れるそぶりをしたりして、
イヤがってでもむりやり降ろしてなんとか連れて行っていたけど・・・。
うーんと考えて、思い切って保育園に電話をしてみました。
運よく馴染みの先生が電話に出て、状況を察知して駐車場まで迎えに来てくれました。
先生が抱っこしようとすると、息子の方から腕を伸ばして抱っこされたので、先生も「すごいすごい、がんばったね」と息子の背中を撫でてくれました。
先生とじっくり話してみて、ほかにも朝泣いてしまう子がいることを知りました。
先生と話せて、息子のことを共有できて、わたしも少しホッとしました。
思い切って電話をかけて、先生に頼ってみて本当によかった。
頼れた自分にも、変化を感じました。
これまでのわたしは、先生に頼るという選択肢がまずなかった。
「自分でやらなきゃ」って思ってたから。
朝は先生たちも忙しいだろうから、迷惑かけられないという気持ちもあったけど。
息子がぐずってしまうのは、自分の愛情が足りてないせいだって思っていたし、
自分のせいだから、なんとかしなきゃって思ってた。
それと同時に、息子が保育園をイヤがるのを、わたしもイヤがっていた。
だから、息子の「イヤ」って気持ちをきちんと受け止めてあげれてなかった。
ぐずられると仕事に遅刻してしまうからイヤだという気持ちも、もちろんあるけど・・・
息子の「イヤ」な気持ちを認めることは、自分のダメさと向き合うことでもあるから(自分のせいだと思い込んでたから)、息子の気持ちをきちんと認めていなかった。
でも、心に余裕ができて、息子の気持ちと自分の気持ちをわけて考えることができて。
息子の「イヤ」って気持ちをしっかりと認めてあげれた感覚がしました。
先生に車まで迎えに来てもらってから、次の登園の日。
駐車場に着くと、息子が
「〇〇先生は?」
「〇〇先生、いるなー?(←いるかなー?)」
と小さい声で言いだしました。
「もういるかな?見に行ってみようか」と言うと、自分から車を降りて、保育園のドアのところまで歩いて行きました。
そして、先生を見つけると「いたー!」と言って、入って行きました。
それからは、先生が朝いてもいなくても、車から降りてくれるようになったし、自分で保育園のドアを開けて入って行けるようになりました。
先生に頼んで迎えに来てもらって、気持ちをきちんと受け止めてもらえたことがやっぱり大きかったのかな。
本当によかった。
そして、毎日元気に登園してくれるようになりました。
息子が元気に登園してくれることは当たり前のことじゃない。
息子もがんばってくれてるんだってことに気づけました。
わたしはまた、ついイライラして怒ってしまうこともあるけど・・・
でも、最近は息子の方が穏やか。
わたしが怒ってもニコニコしてるし、穏やかな声で「ちょっとまってね」と言ってきたりする。
息子が不安になったり、しょんぼりしてしまうのは、「わたしにぜんぶ責任がある」と思ってた。
(もともと、まわりに不機嫌な人がいると「わたしがなにかしたんじゃ」とつい考えてしまうクセがある)
もちろんゼロではないだろうけど、過度にそう思い込みすぎて、
息子の気持ちをきちんと認めてあげれてなかったな。
わたしはわたし、息子は息子。
思い込みとかじゃなくて、客観的に息子の「イヤ」って気持ちやその原因をわかってあげられるようになりたい・・・。
息子の「イヤ」って気持ちをきちんと出させてあげること、認めてあげることは、とても大切なことだなーと、息子の変化を見ていて思いました。
ダメダメ母ちゃんだけど、あなたの成長からたくさんのことを学ばせてもらっています。
本当に、いつもありがとう。

みんながホッと安心できる場所
~ひだまりの家サンポミチ~

ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。
さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として…
子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として…
あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として…
さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える
そんなあたたかな場所をみなさんと作っていきたいと思っています。
ぜひ遊びに来てくださいね。
ひだまりの家サンポミチHP
hidamarinoiesanpomichi.jimdofree.com
湯シャン生活はじめました。
これまでシャンプー・ コンディショナーをずっと使ってきましたが、一切やめて湯シャンに切り替えました。
シャンプー・コンディショナーをまったく使わず、お湯だけで洗う湯シャン。
湯シャン生活に変えた理由、湯シャンの方法、湯シャンを始めてから髪がどんな感じか?書いてみました。
気になるにおいは?ベタつきは?
髪の変化はあるのか?
ご興味のある方はどうぞ。

湯シャンに変えようと思った理由
1.環境をまもりたい
以前マグネシウム洗濯についての記事を書いたときに、界面活性剤について調べたことがありました。(マグネシウム洗濯についての記事はこちら→☆)
そのときに、意外といろんなものに合成界面活性剤が使われていることを知りました。
環境を汚さないためにも、そういうものを使わない暮らしがしたいなぁと考えるようになり・・・。
自分がずっと使っていたシャンプー・コンディショナーにも合成界面活性剤が入っていたので、やめたいなぁと代替方法を模索してました。
そんなとき、すでにシャンプーを使わない生活を実践している友だちから話を聞き、とりあえず湯シャンから始めてみよう!と思い立って始めてみました。
2.シャンプーの残量やストックの管理がめんどくさい
マグネシウム洗濯での記事にも書いたんですが、シャンプーがあとどのくらい残っているかを気にしたり、ストックの管理しなきゃいけないことに、ムダなエネルギーをとられてるなと気づきました。
コロナ禍で気軽に買い物にも行けなくなったので、買い物に行く頻度も減らしたい(てかいちいち買いに行くのがめんどくさい)。
それに、万が一仕事が休業になったときのことを考えると、ムダな費用をおさえたいと思うようになり、洗剤とかの費用がけっこうバカにならないことにも気づきました。
そんなことを考えると、シャンプーってめちゃ非効率じゃん!と思うようになりました。
3.体のため
シャンプーやコンディショナーなどは、頭皮から体の内部へ浸透してしまうという話はけっこう耳にしますよね。
30代半ばを目前にし、できるならば2人目の子どもを授かりたいという望みもあり・・・。
できるだけ体の中には、不自然なものを入れたくないと考えるようになりました。
湯シャンの仕方
湯シャンをする上での大切なポイントは、こちら。
ちなみに、湯シャンの仕方はこちらのサイトを参考にさせていただきました。↓
くわしく知りたい方はぜひ。
湯シャンがフケや抜け毛に効く? やり方を間違うと逆効果! 正しい方法解説 | FORZA STYLE|ファッション&ライフスタイル[フォルツァスタイル]
※こちらのサイトでは、ヘアケアのためにトリートメントやコンディショナーを使うことを推奨してますが、わたしは環境保護も目的の1つなので使ってません。
まず、お湯の温度はぬるま湯が鉄則!
40度以上だとイマイチ効果を実感できません。
冬場はツライですが、寒いときは浴槽に下半身だけ浸かって、上半身だけ乗り出して洗いました。
そして、洗うときは時間をかけて丁寧にマッサージしながら洗います。
シャンプーの洗浄力に頼らない分、丁寧に洗わないとなかなか汚れが落ちないので、慣れないうちは時間をかけて洗う必要があります。
髪の長さにもよると思いますが、肩につくくらいの長さだったわたしは、10分以上を意識して丁寧に洗うように心がけました。
そして、自然乾燥は絶対NG!。
ドライヤーでしっかり乾かすと、髪のコンディションを良く保てます。
これまで何度か湯シャンを試したことはあったのですが、ベタつきやにおいが気になって続けられませんでした。
なぜなら、自己流でやっていたから!
今まで失敗していたのは、ポイントを守れてなかったからだとわかりました。
湯シャンは、シャンプーよりも手間ひまがかかります。
湯シャンを2ヶ月続けてみた髪の様子
写真でビフォーアフターをお見せできるような美しい髪でもないので、文章でどうぞ。
【ハリ・コシ】
湯シャンに切り替えて1番ビックリしたのが、髪のハリとコシがアップしたこと!
シャンプーのときよりも髪が元気になったのを感じてます。
湯シャンを始めて3日目で実感し、ずっと継続中です。
【ツヤ感】
そこまで大きな変化はなし。
でも髪のコンディションがほぼ一定になったので、たまにパサつきを感じたときは、その原因(紫外線に当たりすぎ、強風など)に気づくようになりました。
【ベタつき】
最初の1日目はお湯の温度が高すぎたので、洗い方が不十分だったためにベタつきが気になりました。
が、2日目に洗い方をちゃんとすると、気にならず。
それ以降も、ベタつきはありません。
【におい】
結論から言うと、思っていたより気になりません。
湯シャンを始める前に、一番気がかりだったのがにおい。
仕事で揚げ物を扱うこともあり、そのにおいが髪にまとわりつくこともよくあったので、湯シャンでそのにおいがとれるのか心配でした。
最初の1日目は、洗い方が不十分だったのでにおいが気になりました。
が、2日目にはきちんと洗うと気にならなくなりました。
それ以降も、洗い方をきちんとすればにおいが気になることはありません。(旦那さんにもチェックしてもらいましたが無臭とのこと)
それに、意外だったのが湯シャンの方が揚げ物などのにおいが髪にまとわりつかないこと!
シャンプーのときよりも丁寧に洗うことを意識しているからか?においがあまり髪につかなくなりました(つくときもありますが)。
もうシャンプー生活にはもどれない
湯シャン生活に切り替えてから2ヶ月弱たった今の総評としては、シャンプー生活よりも今の湯シャン生活の方が好き!
手間ひまかかるのでめんどくさいときもありますが、それでもがんばってやっちゃうほど、今は湯シャンにハマっています。
前はパサつくことが多かったですが、今は髪のハリとコシが格段にアップして、髪が元気になった気がします。
それに、シャンプーのストックを気にするストレスからも解放されたし、環境への負荷も小さいこともうれしい!
マグととネシウム洗濯から“無臭”の素晴らしさに目覚めたけど、湯シャンでも“無臭”の素晴らしさに目覚めました。
「香害」という言葉をよく耳にするようにもなりましたが、気づかないところで苦しんでいる方への配慮にもなるかもしれませんね。
今までザッ!と洗ってババっ!と乾かすだけで、全然丁寧に扱ってなかった自分の髪・・・。
湯シャンを始めたことで、櫛で丁寧にとかしたり、頭皮を指でマッサージしながら洗ったりすることで、髪に意識を向けられるようになりました。
自分に手間ひまかける時間は、自分を大事にしてる気持ちにもなります。
もうシャンプー生活にはもどれない。
湯シャンには合う髪質と合わない髪質もあるみたいですが。
わたしはとってもオススメです!
いつかはヘナもしたいなぁと思っているので、そのレビューも書きたいと思います。
最後までお読みくださりありがとうございました!
みんながホッと安心できる場所
~ひだまりの家サンポミチ~

ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。
さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として…
子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として…
あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として…
さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える
そんなあたたかな場所をみなさんと作っていきたいと思っています。
ぜひ遊びに来てくださいね。
ひだまりの家サンポミチHP
hidamarinoiesanpomichi.jimdofree.com
息子へのイライラガミガミがとまらない。本当は毎日笑って過ごしたい。
最近また息子(2歳10ヶ月)とのコミュニケーションに悩んでいました。
「こうしてほしい」わたしの気持ちと、それがなかなか伝わらず真逆のことをしてくる息子。
次第に思い通りにしてくれない息子の行動にイライラし、毎日ガミガミ怒るように。
そのうちちょっとしたことでもイライラガミガミしてしまい、そんな自分を「全然母親らしくない」「息子にとって悪影響だ」と責め、どんどん落ち込んでいきました。
本当はイライラガミガミしたくない。
毎日笑いかけたい。
でもイライラガミガミがとまらず、笑いたくても笑えない毎日・・・。
どうしたらこの負のループから抜け出せるのか?
どっぷり穴にハマっていた自分からすこし離れ、俯瞰してみてわかったこと、イライラガミガミから抜け出すことができた大切な気づきについて書いてみました。

息子へのイライラガミガミがとまらない
息子へのイライラガミガミがとまらない。
『魔の2歳児』という言葉がアタマを何回もよぎるくらい、息子とのコミュニケーションに悩んでました。
子どもが思い通りに行動しないことは当たり前だし、頭ではわかっているんだけど。
たとえば、お風呂からあがったら体を拭く・ごはんを食べ終わったら手を拭く・車でチャイルドシートに座るなどの日常的な行動。
「〇〇してね」「〇〇しようね」と言ったことをイヤがってやらない。
言うからダメなのかと思ってなにも言わないでみても、やらない。
注意したり怒ったりしたら、もっとやらない(手あたり次第物を投げたりして余計に悪化する)。
むしろ、わざとかのように笑いながら、してほしくないことをしてくる。
そんな息子の行動にイライラがどんどんたまり、ちょっとしたことでも怒るようになってしまってました。
子どもが思い通りに行動しないことは当たり前だし、頭ではわかっているんだけど(2回目)。
毎日イライラガミガミしてしまっては、そんな自分への自己嫌悪もどんどんつのる。
「今日からもう怒らないようにしよう!」「これからは怒らないようにしよう!」と何度も決意しても、結局怒ってしまうことの繰り返し・・・。
イライラガミガミがとまらず、心もギスギスして笑いたくても笑えなくなっていました。
もっと褒めたり笑いかけたりしてあげたいのに、できない。
こんなお母さん、イヤだな。
息子の寝顔を見ながら泣いたことも何回もありました。
どうしたらもっと優しくなれるのか・・・。
イライラガミガミしては落ち込む、という負のループから抜け出したくて、悶々と悩み続けました。
そんなとき、ひだまりの家サンポミチのカウンセラー高瀬多美子さんの『サンポミチ。親と子のかけ橋講座』を受けました。
多美子さんや受講されているみなさんの話を聞いていて、ハッ!と気づいたことがありました。
それは、前の記事にも書きましたが『自分を愛することができて、相手を愛することができる』ということ。
自分を大切にすることができて“大切にする”がどういうことかわかるし、“愛する”もそう。
自分にないものは相手にも与えられない。
思い返せば、自分の心が満たされていているときは、息子に対してもイライラせず受け入れることができていました。
大切なのは、まず自分の心を整えること・・・。
それから、自分の内面に意識を向けるようになりました。
愛するってどういうこと?
そもそも、自分や子どもを愛することの「愛する」ってどういうことだろう(←むずかしく考えすぎる人)。
「愛する」は抽象的で、具体的ではありません。
自分を愛するとは具体的にどういうことなのか?
そんなことを考えていましたが、講座の中の【感情】についての話で、自分なりに理解したことがあります。
それは、【感情】と【思考】と【行動】はつながっているという話。

「愛する」は行動であって。
自分や息子を「愛おしい」と感じる気持ちは感情。
息子へのイライラガミガミが止まらず、うまく笑いかけることができずに落ち込んでいたときは、【思考】や【行動】から自分を変えようとしていました。
だから、イライラがおさまっても長く続かず、また同じことを繰り返して悩んでしまっていた・・・。
【感情】から変わらなければ負のループから抜け出すのは難しい。
今自分が感じている【感情】は、心が勝手に感じているようだけど、心ではなく脳が作り出しているもの(脳の“大脳辺縁系”といわれる部分で、その中でも“扁桃体”が感情を司る重要な場所だそう)。
わたしは、今自分が感じている【感情】について俯瞰してみました。
快と不快
喜び・怒り・悲しい・怖い、感情にはいろんな感情があるけれど。
生まれてすぐの小さなころ・・・まだ長期記憶もできないころに、自分を守るために使っていた2つの感情(感覚)に【快】と【不快】があります。
まだなにもできない赤ちゃんのころは、快・不快の感覚を使って自分にとって安心安全なものを振り分け、自分を守っていました。
不快なこと(お腹が空いた、オムツが濡れた、眠い・・・etc)をまわりの大人たちに快にしてもらうことは、「欲求を満たしてもらえた=存在を認めてもらえた」体験であり、その体験を積み重ねることで「人は安全だ=人は快だ」と感じれるようになります。
生まれてから体験とともにずっと刷り込まれてきた快・不快の感覚は、無意識に感情・思考・行動のパターンにつながっています。
ひとつの物事にたいして、快・不快どちらを感じるかは自分次第。

息子にイライラガミガミしていたときの自分を振り返ってみると、息子の行動にたいして不快な感情ばかり感じていた(選んでいた)ことに気づきました。

子どもの行動はムダが多いし、すぐヨコ道にそれるし、感情的で突発的で、ぜんぜん効率的じゃありません(当たり前だけど)。
それに、自分の思い通りにさせてもらえないとめちゃくちゃ泣きわめくし怒ります。
そんな息子の問題行動(わたしにとって不快な行動)ばかりにフォーカスし、自分の中の【不快】がMAXになってイライラガミガミしていたことに気づきました。
イライラガミガミしだすと、次から次へ不快なことばかりが目につき、どんどん負のループにハマってしまいます。
そして、息子だけじゃなく自分に対しても、不快なところばかりを感じてどんどん落ち込んでいきました。
「母親らしくない」「息子を大切にできてない」「こんな母親でごめん」・・・と自分を責めてばかりでした。

人に短所があれば長所もあるように、不快なこともあれば快なことも必ずあるのに。
でも、イライラガミガミしていたときは、不快しか感じれなくなっていたなぁと思います。
イライラガミガミしたあとはその感情を引きずりがちで。
息子のちょっとした行動にもガミガミがとまらず、そんな自分に自己嫌悪がとまらず…どんどん穴にハマっていく感じでした。

以前、多美子さんのカウンセリングを受けたときにこんなことがありました。
自分の良いところと悪いところを挙げてみて、「その割合は?」と聞かれて。
良いところが2で、悪いところが8と答えました。
すると、「良いところが2もあるよ!8をどうにかしようとするんじゃなくて、2を伸ばしていこうよ」と。
8ばかりを見て自信をなくし、自分を嫌いになっていたわたしには、2を大切にするという視点がなかったことに気づきました。
今回イライラガミガミしていた自分は、8ばかりを見てどうにかしようとしていたなぁと・・・。
それから、ちょっとずつ快を意識するようになりました。
たとえば、ほっぺがもちもちな息子を可愛いなぁと感じる気持ち。
たどたどしい息子のしゃべり方が可愛くて可笑しい気持ち。
息子が1人でできたことを褒めたい気持ち。
息子といる今の時間を楽しみたいと感じる気持ち。
快を意識することで、脳を切り替える。
不快なことしか感じれていなかった自分から、ちょっと離れてみる。

そうやって快を意識していくと、不快な気持ちでいる時間が少なくなり、ちょっとずつニュートラルな自分でいられる時間が増えました。
快を実際に感じれなくても、快を意識しようとするだけで、不快な感情からちょっと離れられるのを感じています。
息子に感情的にイライラガミガミしてしまうことはもちろんなくならないけど(今日もお茶をこぼされただけでイラっとして「こぼしたらダメやろ!」と怒鳴ってしまった。たいしたことしてないのに)。
イライラの穴にずんずんハマって、自分を責めて落ち込むループに落ちにくくなったというか。
切り替えがすこし早くできるようになったなぁと感じます。
それに、快を意識し始めてからフシギと笑えることも増えました。
息子にたいしてオモシロおかしく話したりふざけてみたりして(社会人になってかれこれふざけたことがあっただろうか?)、ちょっと子どもらしい自分を出せるようになったというか。
そんなタイミングで、保育園の先生からも「〇〇(息子)くん、最近表情がゆたかになりましたね!」と言われました(たまたまかもだけど)。
ほかのママさんたちと目を合わせられなかった理由
話はすこし変わりますが、ほかにも不快の感情が不快の思考・行動につながり、自分を悩ませていたことがありました。
それは、ほかのママさんたちとのコミュニケーション。
わたしは、公園で遊んでいるときにほかのママさんたちがいると、ことごとく目が合わないように避けていました。
息子(2歳)の方が先に「コンニチワー」と挨拶するので、自分の行動の違和感に気づきました。(保育園のおかげで挨拶の習慣が身についている息子)
なんでこんなにほかのママさんを避けてるんだろう?
もともと自分から挨拶したり会話したりするのは苦手で、してこなかったしママ友もほぼゼロなわたしですが。
極端に避けている自分の行動に気づいて、「なんで避けてるんだろう?」とふと疑問に思いました。
自分はなにを避けているのか?俯瞰してみると・・・
ほかのママさんたちから“母親らしくない”と責められるのではないかと怯えていることに気づきました。
気づいたときには「え?」と思ったし、自分でも意味不明なんですけど・・・。
本気でそう思い込んでいる自分がいることに気づきました。
目を合わせられなかったときのわたしは、毎日イライラガミガミしてて子育てに全然自信がもてなくて。
頭の中でずっと「母親に向いてない」「子どもを愛せてない」「子どもにとって悪影響だ」と自分を責め続けていました。
公園で遊んでるほかのママさんたちのように、ニコニコ朗らかに笑いかけてないし、優しい声で話せていない。
「わたしは全然母親らしくない」「子どもを全然可愛がれてない」と落ち込み、そんな自分を見透かされて責められると感じて、目を合わせられませんでした。
これまでの人生経験で、人によって「人が好き」と感じる人がいれば、「人が怖い」と感じる人もいます。
人付き合いには性格ももちろん影響しているだろうけど、快・不快の感情も、自分の無意識の行動パターンにつながっています。

わたしは、ほかのママさんにたいし不快を感じて(選んで)、事実がそうであるかに関わらず、「責められる」と思い込んで避けていたんだなぁと気づきました。
冷静に考えれば初対面のママさんから責められるなんてありえないのに、本気でそう思い込んでいたんだからすごい(いろんな意味で)。
人の目が必要以上に気になる・責められていると感じてしまう・・・それはわたしの長年のクセで、その原因はひとつではなく、たぶんいろいろあると思うのでここでは深く掘り下げませんが。
不快な感情から不快な思考・行動をしていて、事実をゆがめて見ていた自分のクセを発見しておどろきました。
もしかしたら、これまでもそうやって思い込みで壁を作って、人を避けてしまっていたことがあったかもしれない。
そのことに気づいてから、自分の感情と事実を客観的に見るよう意識するようになりました。
後悔しない子育てなんてきっとできないけど
以前、子育てで悩んでいたことをブログに書いたとき、先輩ママさんから「もしもう一度子育てを最初からするなら、楽しみたいです!」」とあたたかいメッセージをいただいたことがありました。
それから、「わたしも子育てを楽しみたい」、「後悔したくない」、「今を大切にしたい」と思うようになりました。
でも、気づけばまた、笑いたくても笑えない暗い毎日を送っていました。
頭でわかっていても、息子に心から笑いかけられなくなってしまうときがたくさんある。
たぶん、これからも後悔することはたくさんあるだろうな、と思うようになりました。
「もし10年後、今を振り返った時になにを後悔するだろう?」と想像してみたとき。
「息子との毎日をもっとたくさん笑って過ごしたかった」という後悔が浮かびました。
後悔しない子育てはできないし、笑えない日もこれからもあるだろうけど・・・。
そういう日を、かぎりなく少なくできたらいいな。
だから、不快な感情にどっぷりハマらずに、快を意識して切り替えがはやくできるようになっていきたい。
息子とたくさん笑って過ごせる日を1日でも増やしていきたい。

自分にたいしても、頭の中を不快な感情でいっぱいにするのではなく、快の感情をたくさん増やしていきたい。
自分の頭の中が安心・安全じゃないと、息子にとっても安心・安全な居場所になれないから。
自分で自分を虐待したらダメだ。
それに快を意識することは、わたしにとっても息子にとっても『存在そのものを認める行為』に近づくのだと気づきました。
快には好きか嫌いか良いか悪いかでなく、存在そのものを認めている(存在に価値がある)感覚があるように感じます。
息子のぷにぷにほっぺを可愛いなぁと思う気持ち。
今を大切にしたい・笑っていたいと思う気持ち。
心地よい感情で、頭の中を満たしたいと思う気持ち。
そんな気持ちにフォーカスすると、行動も少しずつ変わってくるし、笑えることも増える。
存在そのものを認めることは、それこそ『愛』なのではないかな。
不快も、悪い感情のようだけど本当は自分らしく生きていくために大切な感情なんだよなぁ。
自分の中の不快なところばかりを見て責めるのはよくないけど。
自分の感じている本当の不快に気づいて、できる範囲で少しずつ快に変えていくことは「自分を大事にすること」につながるのではないかな、と思いました。

みんながホッと安心できる場所
~ひだまりの家サンポミチ~

ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。
さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として…
子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として…
あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として…
さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える
そんなあたたかな場所をみなさんと作っていきたいと思っています。
ぜひ遊びに来てくださいね。
ひだまりの家サンポミチHP
hidamarinoiesanpomichi.jimdofree.com
一週間に3回も見た怖い夢。人間関係のトラウマと【快・不快】の感情について
怖い夢なんてほとんど見ることのなかったわたしが、1週間の間に3回も見た怖い夢。
夢の内容はどれも同じで、大勢の前で1人の人からいじめられる夢でした。
わたしが怖い夢を見た原因は、過去の人間関係のトラウマにありました。
「人が好き」と感じるか、「人が怖い」と感じるか・・・世界をどういう風に見て、どんな人生を歩むかに影響する、【快・不快】の感情。
少しずつ自分を強くしていくことができた、ひだまりの家サンポミチのカウンセラー多美子さんからの言葉。
今感じていること、大切な気づきについて書いてみました。

1週間に3回も見た怖い夢
大人になってから、ほとんど見ることがなくなった怖い夢。
しかし、怖い夢を立て続けに見たことがありました。
しかも、1週間の間になんと3回も。
その内容はほとんど同じで、幽霊的な怖さではなく、大勢の前で1人の人から精神的にいじめられる怖さ。
1人の強い女性がいて、その女性から大勢の前で自分を悪し様に言われる夢です。
強い、というのは肉体的に強そうではなく、気が強いというか女性性が強すぎるというか。
学生だったらテニス部にいそうな感じの、強そうな女子です(←テニス部に超失礼)(学生時代に経験したわたしの独断と偏見による部活別にいた人の特徴。ちなみに内気で気の小さいわたしはTHE・文系の美術部)。
そして、わたしはいつもその夢の中で、その場の空気や、まわりの人たちから自分がどう思われるかを気にしまくって、けっきょくその強い女性の言われるがままにします。
たとえば、その女性がやったことなのに、わざとわたしがやったように言われて(わざと言っているのだとわかる)、「間違えてるよ」と指摘されます。
わたしは、「いや、あなたがやったことですよね」と言い返したいけど、言い返すことができない。
わたしが言い返すとたぶん言い合いになるので、場の空気は最悪になりそうだ・・・
その女性が間違えたと言えば、まわりの人のその女性への印象を下げてしまう・・・(その女性が苦手だけど、嫌いなわけじゃない)
言い返した自分の印象も悪くなる・・・
と、コンマ数秒の間にめちゃくちゃ気にしまくり気を遣いまくり、その場をどうにかやり過ごそうとして、うやむやに笑ってごまかそうとします。
でも本当は自分は悪くないのだから、自分が悪いと周囲にカン違いされたことが許せないし、怒りが込み上げてくる。
でも、その女性に言い返すことができず、いびつな笑顔を顔に張り付けたまま必死に取り繕う・・・そして夢から覚めます。
夢がリアルすぎて、起きた後もしばらく心臓がドクドクして嫌な気持ちが消えませんでした。
立て続けに2回、3回と同じような夢をみたとき、さすがに「おかしいな。なんかあるな」と思いました。
怖い夢を見た原因は、職場での人間関係の悩みにあった
1週間に3回も怖い夢を見た原因。
気になったわたしは、ある日ひだまりの家サンポミチのカウンセラー多美子さんに話をしました。
多美子さんに話して、すぐに原因がわかりました。
それは、職場での人間関係の悩みにありました。
その頃、わたしがパートで働いている職場で、ストレスを強く感じることがあって。
それが引き金となって、過去の大きなトラウマを思い出し、夢の中で再体験していたのです。
わたしの職場での人間関係の悩み・・・
それは、とあるパートさんがいて、その人の行動にとても裏表があると感じてしまう人がいて。
たとえば、AさんがいないところではBさんにAさんの悪口を言い、BさんがいないところではAさんにBさんの悪口を言う、みたいな行動です。
それを見たときに、「わたしがいないところではわたしの悪口言われているんだろうな」と思いました。
わたしと話すときはふつうに笑って話しているけど、わたしのいないところでは悪口を言われているんじゃないかと思うと、そのパートさん(仮名:Cさん)をすごく気にするようになって。
Cさんから本当はどう思われているかや、言葉のウラを必要以上に気にするようになりました。
Cさんが「わたしが〇〇するね」と言ったときは、本当は「あなたに〇〇してほしい」という意味なんじゃないか、と思って「わたしがします」と言ったり。
自分がどうしたいか、ではなくその人がどうしたいかを読みまくって、イヤなことでも「いいですよ」と言ったり「わたしがします」と言ったりしていました。
でも、そうやってウラを読むことにすごく疲れて、裏表のある人がイヤでイヤでイヤになって。
そんなとき、店長さんから新しい仕事を任され、その仕事もパートさんたちの空気を読んで引き受けたわたしは、自分の中の「イヤだ!」がMAXになって、頭の中が真っ赤になって警報がいっぱい鳴り出しました。
「自分の自由がなくなる」「おびやかされる」「自分を犠牲にしたくない」という強烈な拒否反応で、寝ても覚めても頭の中で警報が鳴りやまなくなり。
職場でもうまく笑うことができなくなり、職場の人間関係や仕事のイヤなことばかりにフォーカスがいくようになっていました。
そして、怖い夢を見るようになったのも、そのころからでした。
『快』『不快』の感情と、感情・思考・行動のクセ
ある日、仕事をしているときに、防犯カメラの画面越しにCさんとAさんがシフトを見ながらなにやら話している姿が見えました。
それは、わたしが「休み希望を出していた日に仕事が入れられていた」という話を、Cさんに話したあとのことでした。
わたしが休むと人数が少なくなって仕事が忙しくなるので、そのことについて「悪口を言われてるんじゃないか・・・」と2人を見て思いました。
胃がキリキリと痛くなる気持ちがしながら、Cさんにその話をしてしまった自分を呪っていました。
しばらくしてCさんがわたしのところに来ると、「仕事が入ってた日、Aさんが休みだから入れるって言ってたよ。Aさんに相談してみたら?」ともちかけてきました。
予想外の提案をCさんからされたわたしは、驚き&てっきり悪口を言われていると思っていた自分が気まずくて、Cさんにめちゃくちゃ感謝しました。
このことを多美子さんに話したとき、
「さゆりちゃんにとってCさんは、“快”か“不快”かでいうと、“不快”を感じてしまうんだね。だから、Cさんは本当は悪口を話していなかったけど、CさんとAさんが話している姿を見ただけで「悪口を言われている」と思ってしまったんだね」
と言われました。
事実では、わたしが休みたい日に休めるよう、Aさんと話してくれていたCさん。
でもわたしの頭の中では、Cさんは悪口を言っていると思い込み、それが事実かのように胃がキリキリと痛くなっていました。
そう思い込んでしまうくらいCさんを“不快”だと感じてしまっていること、Cさんに対する“不快”の感情から、“不快”な現実を作り上げていたことにハッと気づきました。
多美子さんが教えている心理学(TA・交流分析)と脳科学の講座の中で、『感情』をテーマにした話があり、その中で“快”と“不快”の感情があります。
“人”という刺激に対して、「人が好き(=快)」と感じるか、「人が怖い(=不快)」と感じるか・・・
無意識に感じているその感情は、日常の思考・行動につながっていて。
Cさんを“不快”だと感じているわたしは、“不快”の思考(=悪口を言っていると思い込み)・行動(胃がキリキリと痛む)をしていました。

多美子さんの『サンポミチ。親と子のかけ橋講座』より。快・不快の感情と、感情・思考・行動について
感情・思考・行動は、人それぞれにパターン化しているクセがあって。
わたしの場合、Cさんのような裏表のある気の強い女性がいると、自分が攻撃されないよう媚びてしまうクセがありました。
その人の機嫌が悪いと「わたしがなにかしたのかな」と気にしたり、自分がどうしたいかではなくその人がどうしたいかを読みまくったり。
その人に気に入られればわたしは安全(=OK)で、その人から嫌われればわたしは問題(=NO)。
そう思考してしまうのは、「この人が離れていけば自分が困る=“依存”」している部分がどこかにあるからで。
相手に媚びることは自分を貶めることでもあり、自分を痛めつけることもイヤになっていました。
そんな自分を変えていきたい、強くなりたいと思ったわたしは、多美子さんとたくさん話していく中で、
- どう思われても平気だもん!と思うこと。相手が離れていっても1人でやっていけるマインドをもつこと。
- なにかをするにしてもぜんぶ自分のためにすること。媚びないで、自分がどうしたいかを基準にすること。
- 相手の良いところを見て(相手のためではなく自分が居心地よくいるために)、相手のしてくれたことには感謝すること。
を、何度も自分に言い聞かせました。
これまで相手の感情を気にし、相手がどうしたいかで行動していたわたしにとって、
「相手のために変わるんじゃなくて、自分のために変わるんだよ」
「なにかをするにしても、ぜんぶ自分のためだよ」
と、多美子さんから言われたときに、「自分のために」という言葉が、深く心に届きました。
そっか、・・・自分のためにしていいんだ!と。
今まで自分を大切にしていなかったこと、大切にするとはどういうことか少しずつわかるようになりました。
他人は変わらない、変えられない。他人は他人、わたし。
多美子さんが講座の中で教えている大切なことのひとつに、『他人と過去は変えられない』という事実があります。
わたしがCさんの機嫌を良くしようとやきもきしようが、Cさんの感情をコントロールできるわけではないし、Cさんは変わらないし変えられない。
相手の機嫌に気を遣い、相手の感情にまで責任を感じてしまうのは自分にとってすごくストレスだし、詮ないことです。
相手とわたしはちがう人間で、変えようとするのはわたしの一方的なエゴ。
コントロールできるのは、自分自身のことだけ。
「相手は相手、わたしはわたし」なのだから、まわりの機嫌や感情にとらわれず、自分のために居心地良くいられるようになっていきたい。
『他人は変わらないし変えられない』という事実を思い出すことは、わたしが(勝手に)相手に抱いている期待と現実のギャップで感じていたいろんなストレスから解放してくれる、とても大切な気づきです。
わたしは、Cさんのことを嫌いなわけではありません。
Cさんはムードメーカー的な人で、人を笑わせたり場の雰囲気を明るくさせたり、接客の対応も素晴らしくて、すごいなと思うところがたくさんあります。
だから、Cさんとは仲良い関係でいたいなと正直感じています。
でも、そのためにCさんの不機嫌を気にして、悪口を言われないように媚びるのは、ちがうと思う。
Cさんと仲良くするために、Cさんを悪く思わないために自分を変えようとすることも、ちがうと思う。
Cさんが陰でだれかの悪口を言っている姿をたくさん見てきたから、わたしにとってCさんのその行動はNOです。
それはそれとして、Cさんにはすばらしい面があるから、そっちの方を見るようにして、してもらったことには感謝を伝え、陰で自分のことをなんと言われようが平気な自分でいたい、と思います(自分で言いながらむずかしいこと言ってると思う)。
この記事を書き始めたのは2019年9月。
今は2020年10月なので書くのに1年以上かかっています。
1週間に悪夢を3回も見たのは1年以上前の話で、あれから悪夢は見なくなったけど。
今でもCさんが不機嫌だと「自分がなにかしたかな」「あのときこうすべきだったかな」とつい考えてしまう自分がいます。
それは、子どもの頃の経験から身についてしまったクセ(自分を守るための防衛反応)なので、すぐにはなかなか変えられないけれど。
でも、今まで気づかなかった自分のクセにハッと気づけるようになったことは、とても大きな一歩だと感じてます。
変わるための第一歩は、“気づく”こと。
気づくことで、“今”の自分に自我を置くことができ、目の前のことを客観的に見て、良い方へ向かおうと考えることができるから。
気づいて、なりたい自分を想像して、変わろうとする。
急激に変わるのでなく、その地道なくり返しが、確実になりたい自分になり、元の自分には戻らない道すじだと感じてます。
少しずつ、少しずつ、自分を強く、なりたい自分になっていこうと思います。
みんながホッと安心できる場所
~ひだまりの家サンポミチ~

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「ダメ」という言葉を避けてきたけど、それよりも大切なこと
息子が言葉を話せるようになってきて、気になりだした“言葉”。
なるべく良い言葉を使うようにしようと、息子の行動を注意するときは「ダメ!」と言うのを避けてきました。
でも、言い方を変えようが息子の問題行動は止まらず、どんどんエスカレート。
強制的にやめさせるとギャン泣きしてしまい、そのパターンの繰り返しにもグッタリ。
どうしたら伝わるのかと悩みに悩んで・・・。
子どもの気持ちを理解する手がかりになった本、そして、息子とのトライアンドエラーを繰り返して気づいた、“言葉”よりも大切なことについて書いてみました。

- 息子が言葉を話せるようになってきて、気になりだした“言葉”
- 子育てでなるべく「ダメ」という言葉を使わないようにしてきた
- 問題行動をやめさせられないので悩みに悩んで参考にした本
- 「ダメ」という言葉を使わないよりも大切なこと
- 自分を試される子育て
息子が言葉を話せるようになってきて、気になりだした“言葉”
息子は現在2歳6ヶ月。
言葉を少しずつ話せるようになり、意思の疎通がまあまあできるようになって、「子育てが少し楽になったなー」と感じれるようになりました。
息子がどうしたいかとか、なんで泣いているのかが大体わかるようになったし、わたしの言ってることも、大体伝わる。
意思の疎通ができないことがわたしにとってかなりストレスだったので、言葉をしゃべれるようになって子育てがグンと楽になりました。
で、息子が言葉を話せるようになって、新たに気になりだしたこと。
それは、“どんな言葉を息子に使うか”。
息子が物や食べ物を床に落としたときに、わたしはよく「落ちたよ!もー!」と怒ってました。
すると、あるとき息子が物を落としたときに「おちたもー!」と言っていて、ギョッとしました。
子どもはスポンジのようになんでも吸収するので、わたしが普段使っている言葉も吸収してしまうんだ、とハッと気づきました。
今まで言葉に関して無頓着で、怒るときの言葉も気をつけてこなかった。
車を運転していてイラっとしたときも、ひとり言のつもりで文句を言ってたけど、それすらも息子は全部吸収しているかもしれない・・・。
そう思うと、子育てで日ごろどんな言葉を使うか気をつけなきゃなと思ったのです。
子育てでなるべく「ダメ」という言葉を使わないようにしてきた
わたしが最初に意識したのが、「ダメ」という言葉。
「ダメ」という言葉は、わたし自身好きでなく、息子に対してなるべく使いたくないと思いました。
「ダメ」と言うと、行動に対してNOと言っているつもりなのに、まるで存在に対してNOと言っているような、強い否定の響きがしてしまうと感じて。
息子に問題行動をやめさせたいときは、なかなか言うことを聞かないとイライラしてくるのでつい感情的になってしまいがちで、そんな状態で「ダメ!」と言うと顔はどんどん険しくなるし声も荒々しくなります。
なので、 「ダメ」という代わりに「~したらいけないよ」「~しようね」となるべく別の言い方や肯定的な言い方をするようになんとか工夫してました。
そんなある日、保育園に通っている息子は園で覚えてきたのか?突然息子の方から「ダメー!」と言うようになりました。
息子にとってしてほしくない行動をしようとすると、「ダメー!!」と力いっぱい叫ぶようになり。
息子が「ダメ」と言いだしたときは正直ちょっと悲しかったけど、息子に“してほしくない行動”をやめさせることは確かに、かなり、ものすごく、大変でした。
あまりの大変さに、わたしも「ダメ!」とあえて言うことが増えました。
でも「ダメ」と言おうが、別の言い方にしようが、なるべく肯定的な言い方にしようが、息子の行動はなかなかやまず。
ある日は、息子が絵本を投げて遊びだして、思いっきりわたし目がけて投げてくるので本当に危ないし痛いわで。
「絵本投げたらダメだよ」「絵本投げないでね」「絵本大切にしてね」と何度も言い聞かせるように言うけど、息子はイヒヒヒーと笑って、おもしろがっているようにも見えて。
いくら言っても投げ続けるので、悲しくなったしウンザリもしました。
問題行動をやめさせられないので悩みに悩んで参考にした本
ある日は、靴を履いたまま家にあがったり。
またある日は、寝転がって足でドンドン壁を蹴ったり(マンションなので近所迷惑)。
またまたある日は、座ったまま椅子を大きく揺らしたり(倒れたらケガするぞ)。
いくら言い方を変えても聞かないので、けっきょく強制的にやめさせて息子をギャン泣きさせることがほとんどで、そのパターンにも疲れてしまいました。
「どうしたら伝わるのかな・・・」と悩みに悩んでいたところ、ネットでひとつの本を見つけました。

この本では、神経科学や実験心理学に基づいて、子どものよくある困った行動の裏にある動機を、わかりやすくとってもかわいいイラストとともに解説されています。
この本を読んで、子どもの頭の中ではこんなことが起こっていたんだ!と発見の連続でした。
「そうだったんだ!」とビックリしたことのひとつが、子どもが「してはいけない」と言われたことをすぐしてしまうのは、言われたことを体で理解しようとしているから。
2歳前は、子どもは主に感覚運動的に、つまり言葉ではなく物理的な感覚や体の動きを通して理解します。
「いけない」と言われたことをするのは、感覚運動的知能を使って、言葉で言われたことを理解するために、自分の体を使って言い直しているようなものなのです。
(引用:イザベル・フィリオザ著『子どもの気持ちがわかる本』本文より)
“知らないことを知らない”とは、まさにこのことだった・・・。
これは、知らなければ永遠に知りえなかったことだな、と思いました。
餅は餅屋、子どものことを理解するには大人では想像だにしない世界があるので、その専門の知識を知ることは必要かも知れない(知れば自分も子どもも楽になるから)。
この事実を知ってから、息子が問題行動を繰り返しても「いま体で理解しようとしているんだ」と辛抱強く待てるようになりました。
そして、もうひとつ、息子の気持ちを理解するうえで参考になった本。

これは、以前わたしの大切なお友だちが教えてくれた絵本。
この絵本を読んで、「子どもは今目の前のことに夢中で、頭の中でいっぱい発見や革命や起きているんだな。それを大人の都合で途中でやめさせたくないな」と思いました。
この絵本で得た気づきがすごく心に残っていて。
息子がなにかに夢中になっているときは、「今大人の理屈をむりやり通す必要があるか?」を一瞬考えて、なるべく息子が今夢中になっていることを尊重しようと思えるようになりました。
「ダメ」という言葉を使わないよりも大切なこと
そんな息子とのトライ&エラーを繰り返し・・・
少しずつわたしの中で気づいたことがあって、それを実行していくうち、わたしの言ったことがすんなりと息子に伝わることが何回かありました。
そんなうまくいったときを振り返ってみて気づいた、大切なこと。
それは、どんな言葉を使うかではなく、どんな気持ちで言葉を発するか。
たとえわたしが「ダメ」と言わず、肯定的な言い回しをしたとしても、息子の行動をやめさせたい一心の時は、息子が理解するまで待てず、力ずくで言うことを聞かせようとしてました。
息子はわかってない!と決めつけて、上から命令するかのように、強い口調で言っていました。
でも、息子にすんなりと伝わったときは、息子と対等の立場に立ち、息子を尊重し、今なにを考えているのかを想像することができました。
そして、「息子はちゃんとわかっている」ということを信じて話せていました。
息子を信じているときの声は、穏やかだし、やさしい声になります。
すると、息子の気持ちとピタッとつながったような感じがして、しばらくすると息子が行動をやめ、やめた後も落ち着いた様子でいます。
言葉ばかり気にしてたけど、どんな気持ちで言葉を発するか、の方がすごく重要なんだなとしみじみ気づきました。
『子どもを信じる』の、“信じる”が具体的にどういうことなのかがわからなかったけど。
最近自分なりに気づいたことは、“信じる”の具体的な行動の1つは、“待てる”こと。
子どもができることを知っているから(心から信じているから)、待てる。
そのことに気づいても、いつでもできるわけではなく、イライラガルガルしてしまう時もあるのがむずかしいところですが・・・。
時間の余裕や心の余裕、わたし自身の抱えている他のストレスでできたりできなかったりしてしまうので、自分自身のメンテナンスはかなり必要です。
息子が同じことをしても、自分の心次第で対応がちがう・・・それでは息子も混乱してしまうから。
待てる心の余裕と時間の余裕があることは、すごく大切。
自分を試される子育て
絵本を投げて遊び出したとき、何度言っても聞かなくて思わず泣きそうになったわたし(痛いし)。
でも、息子を信じれてないことにハッと気づき、落ち着いて話しかけながら息子が理解するまで辛抱強く待ちました(文字通り辛抱強く)。
すると、しばらくして息子は投げるのをやめました。
まるで、自分を試されているかのよう・・・。
きっと息子は、わたしが息子を信じることができるまで投げ続けるのだろう、と思いました。
もちろん、息子は試そうとしてやってるわけではないんだけども。
本当に愛しているか、信じているかを試されているかのような気になることがたくさんあります。
これまで数えきれないほど息子を泣かせ、ときには息子と心が通じあって幸せな気持ちになったりしながら、「信じるとはこういうことか」「愛するとはこういうことか」と気づかせてもらいました。
一冊目に紹介した本の中に、思わずグッときた言葉があります。
問題が面倒であればあるほど、そして子どもがママやパパをイライラさせればさせるほど、「愛情のタンク」を満タンにすることが大切なのです。
(引用:イザベル・フィリオザ著『子どもの気持ちがわかる本』本文より)
単純に、本を読んだり方法や理論を頭の中に入れるだけでは、うまくいかない子育て。
わたしのベースには、ひだまりの家サンポミチの多美子さんから教えてもらい、たくさんの実感として腑に落ちた心理学(TA・交流分析)と脳科学の教えが息づいています。
それは、『自分を幸せにする』ための教え。
わたしはずっと、自分のことを大切にしていなかったし、そのことにすら気づいてなかったけど。
多美子さんの講座で学び、日常の中で少しずつ自分を大切にすることができるようになって、相手を大切にするすべがわかるようになりました。
そのベースがあるから、大事なことにハッと気づけるのだと思います。
息子にとって一番必要なのは、“愛情”。
愛情をかけることは、大袈裟なことではなくほんの小さなこと。
その具体的なことのひとつに、“信じて待つこと”があるのだと思います。
息子が気づかせてくれる、日常の大切なことを忘れないように。
息子の愛情のタンクを満タンにしてあげられるお母さんでありたいな、と思います。

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ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。
さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として…
子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として…
あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として…
さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える
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石けん洗剤からマグネシウム洗濯に変えてみた!
息子が生まれてから、はや2年と5ヶ月。
洗濯には、グリーンコープの石けん洗剤をここ2年くらいずっと使っていました。
ですが、この度マグネシウム洗濯に変えました。
ずっと気になっていたマグネシウム洗濯。
マグネシウム洗濯に変えようと思い立った理由や、実際に使ってみての率直な感想を書いてみました。
結論から言ってしまうと、マグネシウム洗濯すごい。マジ良い。
「マグネシウム洗濯ってなに?」という方にも、「ずっと気になってるけどまだ試してない」という方にも、ぜひこのすごさを知っていただけたら幸いです。

- マグネシウム洗濯とは
- 石けん洗剤からマグネシウム洗濯に変えた理由
- マグネシウム洗濯を実際にやってみた
- 環境にも人にもお財布にもやさしいマグネシウム洗濯
- 余談:コロナ禍をきっかけに暮らしを見直したいと思えるようになったのかも
マグネシウム洗濯とは
「洗たくマグちゃん」という名前を聞いたことがある方も多いのでは。
わたしも数年前に聞いたことがあって、それからずっと気になっていた洗たくマグちゃん。
とある町工場(株式会社宮本製作所)が開発した、マグネシウムで洗濯ができる商品です。
普段使っている洗濯洗剤の代わりにマグネシウムを入れて、マグネシウムと水だけで洗濯する。
洗剤なしで洗濯できるので、環境も汚さず人の肌にもやさしい商品です。
マグネシウムで洗浄できるしくみは、シンプルな化学反応によるもの。
マグネシウムと水が合わさると水素が発生し、ただの水道水がアルカリイオン水に変化します。
そのアルカリイオン水が、洗濯ものについた皮脂などの汚れを分解してくれるので、汚れがすっきり落ちるというしくみ。
しかも、使い続けていると洗濯槽や排水ホースの中までキレイにしてくれる!
マグネシウム洗濯は、環境にもいいし、人にもいいし、洗濯槽を洗う手間まで省けてしまうし、良いことづくしのすんごい洗濯方法なのです。
石けん洗剤からマグネシウム洗濯に変えた理由
【1.せっけん洗剤の洗い上がりが気になっていた】
なるべく環境への負荷が少ないもの、肌にも良いものを使いたくて、ここ2年くらいずっとグリーンコープの石けん洗剤を使ってきました。
(ちなみに生まれてすぐのころは「無添加さ○さ」を使っていた)
ですが、息子が活動的になって、食べこぼしなどの汚れなどもいっぱい増え、洗濯ものの汚れがきちんと落ちているのかギモンに思うようになりました。
「洗濯機に洗剤入れてまわすだけじゃ、汚れはほとんど落ちてない」という話もチラと聞いたこともあり、そりゃそうだよなぁと思うこともあって・・・。
それに、石けん洗剤で洗うとどうしても服やタオルがごわついてしまうのも気になってました。
(それはわたしの洗い方と干し方に問題があると思いますが・・・)
今までなにも考えずにポイポイと洗濯機にいれて洗剤いれてまわすだけでしたが、洗濯方法を見直したい気持ちが芽生えました。
【2.洗たく洗剤にかける費用がバカにならない&買い置きがめんどくさい】
月に1個か2個くらい洗剤の詰め替えを買っていましたが、フト洗剤代を買う費用もバカにならないぞ、と気づきました。
わたしが買ってる石けん洗剤は1個約400円くらいなので、月1個だとしても年間4,800円。
月1個以上買うこともあるので、たぶん年間6,000円~7,000円くらい。
そう考えると、長い目で見たら洗剤代もバカにならない。
それに、洗剤があとどのくらい残っているかを気にしなきゃいけないのが、ものすんごくめんどくさい。
買い置きに注力していたエネルギーを、もっと別のところに使いたいと感じるようになりました。
【3.環境への負荷が小さいものを使いたい&ズボラでも続けられる方法がいい】
「環境や肌にも良さそう」という理由で石けん洗剤を使っていましたが、本当に環境への影響が小さいのか?頭のすみでギモンに思ってました(←ちゃんと調べてないだけ)。
「CM出してる大手メーカーの洗剤は、界面活性剤が入っているから環境に悪い」という偏見にまみれまくったイメージしかなかったわたし。
そもそも界面活性剤がなんなのか、どう環境に影響するのかも知らないまま、「界面活性剤=悪」のイメージだけでなんとなく過ごしてきました。
偏見とかイメージじゃなく、ちゃんと知りたい!ということで、今回記事を書くにあたって調べてみました。
よく聞くけど「界面活性剤」ってなに?
「界面活性剤=悪」というイメージが先行してましたが、それは大きな間違いでした(反省)。
石けんも界面活性剤のひとつということが判明。
以下は界面活性剤についての説明の抜粋です。
界面活性剤とは?
界面活性剤とは水分と油分など本来混ざらないものを混ぜ合わせ、それを分離させないために必要なものです。
一般的に界面活性剤の「脂肪酸ナトリウム」または「脂肪酸カリウム」が「(純)石けん」と呼ばれるものになります。そしてそれ以外のものを合成界面活性剤(合成洗剤)と呼びます。
(引用元:界面活性剤 - 生活の知識)
ざっくりとまとめると、後者の合成界面活性剤に有害なものもあり、それらが環境汚染の原因につながっしまうようです。
そして、一般的に売られている洗剤やシャンプーは、その有害な合成界面活性剤が主成分として使われているものがほとんどだそうです・・・。

合成洗剤は石油や天然油脂から作られていて、複雑な化学合成を繰り返して自然界には存在しない合成界面活性剤が成分として入っています。
合成界面活性剤は海や河川に流れても分解されない(または分解するのにすごく時間がかかる)ので、海や河川、そこに住んでいる生き物たちが汚染されてしまう・・・という話。
自分たちも海産物を食べたり、雨水をうけて育った農作物を食べてるので、垂れ流しになった合成界面活性剤は自分にも返ってきます。
そう考えるとおそろしいですね。
石けんは、分解されやすく微生物のエサにもなるので、環境への影響が小さいそうです((純)石けん成分の場合の話で、合成洗剤と合わさってる複合石けんもあるそうなので注意)。
石けんは、排水として海や川に流れ出ると、短期間で大部分が水と二酸化炭素に生分解されます。石けんカスも環境中に流れますが、微生物や魚のエサとなります。石けんは、生分解性に優れ、環境にもやさしい洗浄剤といえます。
(引用:
私たちがこだわる無添加とは|無添加石けんの「シャボン玉石けん」
)

純石けん成分で作られた石けん洗剤は、環境への負荷が小さいということがわかってホッ。
でも洗濯方法を見直したかったので、今回思い切ってマグネシウム洗濯に変えました。
マグネシウム洗濯を実際にやってみた
本当は洗濯マグちゃんが欲しかったのですが・・・お値段がけっこうします!
で、調べていたら自作でもマグネシウム洗濯ができることがわかりました。
なので、今回は自作でマグちゃんもどきを作りました。
すみません(誰に)。
必要なもの
マグネシウムと洗濯ネットはネットで購入しました。
ちなみに買ったものはこちら↓
◎洗濯ネット
洗い方
今まで使っていた洗剤の代わりにマグネシウムを入れて、今まで通り洗濯機で洗うだけ。
超カンタン!!
ちなみにマグネシウムの量は、1回の洗濯に400gぐらいを使っています。
わが家の洗濯機は、水量を38リットル・29リットル・21リットルの3段階で選べるのですが。
38リットルのときも29リットルのときも、めんどくさいので400gぐらいで洗濯(←雑)。
マグネシウム量が多いほど、水道水のph値が上がりやすい(=アルカリ性に傾きやすい)という記事もありました。
洗い上がりを見て、気になったら量を増やしたり減らしたりした方がいいかもです。
今のところ、400gで気になることはないです。
洗濯した後のマグネシウムは、濡れたままだと黒ずみやすくなるため、置きっぱなしにせずしっかりと乾かします。
手順は以上!超カンタン!
洗い上がりの率直な感想
びっくりするほど無臭!!
一番衝撃を受けたのが、この無臭さ。
無臭さという言葉が変だけど、無臭のレベルがすごい。
洗濯が終わって洗濯機を開けたときの臭いは、例えると水道水の臭いみたいな。
それってほぼ無臭じゃん!みたいな。
石けん洗剤を使っていたころは、石けんならではの甘い匂いがしてました(パート先で「○○さん、赤ちゃんみたいな匂いがする」と言われたことも)。
洗濯物からにおいがしないことの、なんと快適なことよ!
それに、タオルや衣類のごわつきも気にならなくなりました。
以前は、タオルを物干し竿からとるときにパリッとした感触があったけど、今は気にならなくなりました。
洗い上がりは大満足!!
汚れがひどいときは
旦那さんの仕事の作業着など、汚れがひどいときはマグネシウムだけだと匂いが気になるときがあります。
そのときは、アルカリウォッシュを大さじ1~2くらい足しています(←量も雑)。
汚れがひどいものを洗う時も、これで洗い上がりが気にならなくなりました。
マグネシウムのメンテナンスについて
マグネシウムを使い続けていると、酸化被膜がついて黒ずんできて、効果が弱まってくるそうです。
でも、メンテナンスすることで効果を復活させることができます。
◎メンテナンス方法
すると、黒ずみがとれて効果が復活するそうです。
(追記:使い始めて3ヶ月以上経ちますが、まだメンテナンスの必要もなく使えています)
環境にも人にもお財布にもやさしいマグネシウム洗濯
初めて洗濯したときは、本当にちゃんと洗えるのか恐る恐るでしたが。
洗ってみて、洗い上がりの無臭さにビックリ&感動!!
干すときも、取り込むときも、においがしないことがこんなに快感だとは。
もっとはやく試しておけばよかった!と思いました。
今ではもうマグネシウム洗濯以外の方法は考えられないぐらいハマってます。
においのストレスから解放され、ごわごわのストレスから解放され、買い置きを気にするストレスからも解放され、洗濯のモチベーションがぐんとアップ。
環境にもいいし、肌にもやさしいし、お財布にもやさしいマグネシウム洗濯。
いいこと尽くしのマグネシウム洗濯、ぜひ試してみてはいかがでしょうか?!
★洗たくマグちゃんHPはこちら★
マグちゃん公式オンラインショップ |「うれしいね。マグちゃんのある暮らし」
↑わたしは自作でしたけど購入できる方はぜひ本家を買ってね!
余談:コロナ禍をきっかけに暮らしを見直したいと思えるようになったのかも
これまで、環境にいいもの、体にいいものを使いたいという気持ちがあったけど、今ひとつレバレッジがかからず踏み込んだ行動にはうつらずにきました。
でも、そんなわたしを行動にうつさせるきっかけになったのが、コロナ禍だったのかも。
気軽に買い物に行けなくなったので、洗剤の残りがあとどのくらいかを気にし、ストックを買わなきゃいけないのがめちゃくちゃめんどくさい。
それに、食器用やバス用やトイレ用などそれぞれに洗剤が分かれてると、場所をとるわ買い置きがめんどくさいわでめちゃくちゃ効率が悪い。
もしかしたら明日にもパート先が休業するかもしれないし、ムダな生活費を見直したくて、洗剤費用がバカにならないことに気づいた。
「環境保護のため」とか「未来の子どもたちのため」という漠然とした理由よりも、自分のためとかお金のためだと、レバレッジがかかりやすいらしい。(恥)
で、今回界面活性剤について調べていて、意外と身の回りにあるいろんなものに合成界面活性剤が使われていることを知りました。
洗濯洗剤だけでなく、食器洗剤やバス・トイレの洗剤、シャンプー・コンディショナー、石けん(純石けんではないもの)、歯磨き粉、化粧品などなど・・・。
食品に含まれている乳化剤も、合成界面活性剤なのだそうです。
そのことを知って、洗濯だけではなく他の洗剤も見直したくなりました。
すべてが有害というわけではないけれど、約2,000種類もある合成界面活性剤の中で、どれが有害と指定されているものなのかを把握しておくなんてできないし、めんどくさい(めんどくさいばっかり言ってる)。
(ちなみに、特に避けた方がいい合成界面活性剤として「硫酸~」系「スルホン酸」系の2つが挙げられてました。例:ラウリル硫酸Na、スルホン酸Na、ラウレス硫酸Naなど)
それに、それぞれに洗剤があってそれぞれのストックを買わなきゃいけないのが、めちゃくちゃ非効率的だ!と気づいてしまった。
もっと効率的で、循環的で、ストレスフリーな暮らしがしたい。
まだ触りしか調べてないけど、洗濯もバス・トイレ掃除も、髪を洗うのも、それぞれに洗剤買わなくても必要最低限のもので全部解決できるのでは?
そしたら効率的だし、環境にもいいし、肌にもやさしいし、一石二鳥どころか一石三鳥。
ケガの功名ならぬコロナ禍の功名で、暮らしを見直したいと思えるようになったわたしです。
「〜しなきゃ」だと長続きしないけど、「〜したい」だとワクワクするし、自分が楽しい。
“自分がなににワクワクするか?”はとても大事な指標だし、ワクワクを感じれる余裕があることも、とても大事だと感じている今日この頃。
少しずつ、自分がワクワクする暮らしかたへシフトしたい。
みんながホッと安心できる場所
~ひだまりの家サンポミチ~

ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。
さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として…
子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として…
あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として…
さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える
そんなあたたかな場所をみなさんと作っていきたいと思っています。
ぜひ遊びに来てくださいね。
ひだまりの家サンポミチHP
hidamarinoiesanpomichi.jimdofree.com
アメリカで広がった人種差別抗議デモについて思うこと【差別やいじめの現場にいたとき、自分はどうする?】
アメリカで起きた、白人警官による黒人男性の殺害事件。
この事件を発端として、アメリカ全土や全世界に広がった人種差別抗議デモ。
日本に住む、なんの影響力もないただの平凡な主婦のわたしに、できることはあるでしょうか?
もし目の前で、差別を受け暴力を受けている人がいたら、自分はどんな行動をするでしょうか?
“傍観者”の問題は、身近にあるいじめにも言える問題。
自分にできること、について考えてみました。
2020年5月25日、アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、ジョージ・フロイドさんという黒人の男性が、白人の警察官に膝で首を絞められ、殺されるという事件が起きました。 これが発端となり、アメリカ全土に抗議デモが広がりました。 そして、その抗議デモは全世界に広がっていて、日本でも行われました。 アメリカ全土で広がっている抗議デモのニュースを聞いたとき、「わたしにできることはあるだろうか。それはなんだろうか」とずっと考えていました。 当事者でもないし、黒人差別を日常で感じることもほとんどないし、友だちに黒人がいるわけでもない、日本に住むただの平凡な主婦のわたしに、なにができるでしょうか? 今回の抗議デモについて、いてもたってもいられない気持ちになるのは、大学のゼミで人種差別問題と黒人音楽について研究したから。 そして、黒人音楽の歴史から、人生においてものすごく大切なひとつの真実を学ばせてもらったから。 そのゼミの教授は、人種差別と黒人音楽の歴史について研究していました。 文献や映像、映画、音楽などいろんなメディアから見聞きし、差別と戦ってきた偉大な人たちや偉大な音楽を知りました。 その教授のもと、「暴力には暴力でしか抵抗できないのか」と疑問を抱いていたわたしは「暴力と非暴力」というテーマで卒論を書きました。 この卒論で得た学びは、わたしの人生にものすごく大きな影響を与えるもので、ゆるぎないひとつの真実です。 それは、ものすごく綺麗事ですが確かなことで、「暴力に勝る、この世で最も強いパワーは“愛”」だということです。 教授の言葉で心に刻み込まれている言葉があるります。 「暴力は体を変形させることができるけど、体の傷は時間が経てば治る。 でも愛は、心を変形させることができ、心を傷つける(ショックを与える)ことができる。 そして心の傷は、時間が経っても治らない」 ということです。 わたしは、人種差別と戦ってきた偉人たちの音楽から“愛”を学びました。 だから、“愛”を教えてくれた黒人の人たちがさらされている根深い人種差別問題について、今回の抗議デモを受けてわたしもきちんと自分なりに考え、なにか行動を起こしたいと思ったのです。 当事者でもなく、ものすごく詳しく知ってるわけでもなく、なんの影響力もない、日本に住むただのパート主婦のわたしに、できることや言えることなんてなにもない。 発言するべきでもないのかもしれない(まず自国の歴史や今抱えている問題について考えるべきだろう、とか)。 ものすごく悩みましたが、正しいとか間違ってるとかよりも、自分なりに今考えたことをきちんと言葉にしたい、と思いました。 悶々と考えているときに、とある方の動画を見て、すごく納得した言葉があります。 それは、「わたしは黒人の気持ちを理解することはできない」ということです。 どれほど理解したくても、同じ境遇にあり、同じ経験をした人にしか、その気持ちは理解できないということです。 その方の動画はコチラ↓ 『警察官から殺される』って、日本で考えたらありえないし、あったとしたら恐ろしいとんでもない大事件です。 警察官は、本来犯罪から自分の身を守ってくれる存在だから(そうではないケースも日本では起きているけど、殺されることはほとんどない)。 その警察官に、常に暴力を振るわれる恐怖や、収監され極刑にさせられる恐怖、親から子へ「警察と話すときの話し方」が教えられる気持ちは、たぶん(願わくば)一生理解することはできない。 見た目や肌の色だけで不当な扱いを受け、成功の機会を奪われ、命を奪われ、警察や国、司法を信用できない社会で生きている人たちの怒りや恐怖を、ぜんぶ理解することはできない。 抗議デモの映像を観ながら、彼らの怒りを想像しても想像しきれず、理解できないことに壁を感じてました。 でも、その動画の方の話を聞いて、「同じ経験をした人にしか気持ちを理解することはできない」という言葉に深く納得しました。 だから、事実を知り、“知らないことを知る”ことがゼロから一歩へのスタートなのだと思います。 今回の抗議デモをきっかけに、改めてアメリカの根深い黒人差別問題について調べました。 そして、『構造的人種差別(Systemic Racism)』という言葉を知りました。 アメリカの黒人差別問題は、ただ「黒人は〇〇だ」「〇〇人は〇〇な人が多い」みたいなステレオタイプのレッテルを貼られて、就職や受験に不利だといったレベルの問題ではなく。 社会の仕組みが人種差別的な構造になってしまっていること(=構造的人種差別)が問題となっているのだと知りました。 どういうことなのか?がとても簡単にわかりやすく説明されている動画が紹介されていたので、わたしもシェアさせていただきます(日本語字幕つきです)。 【Systemic Racismの説明動画】 自分なりに調べたり、抗議デモについてのいろんな人の言葉を聞いて思ったのは、“知らないことを知る”ことは無駄ではないということです。 知らないことを知ったとき、大きなショックを受けることがあります。 これもゼミの教授が教えてくれたことですが、“ショック”は、自分にとっての真実の学びとなった証。 学校で習う数学や理科のように忘れ去られるものではなく、痛みを通して自分の価値観や行動をあらためるきっかけを与えてくれる学び。 だから、“知らないことを知る”アクションを起こすことは決して無駄ではないと感じます。 そして、自分の価値観や先入観を置いといて、当事者の声を聴く。 ニュースで取り上げられる情報でなく、当事者の声をちゃんと聴く。 生の声を聴くことで、より真実に触れることもあります。 わたしは、とある動画で、世代の違う3人の黒人男性の話す言葉や声を聴いたときに、理不尽な社会に生きる人の現実、想像を絶する怒りと悲しみ、言葉ひとつひとつの重み、力強さを感じました。 全然勉強不足だし、まだまだ知るべきことは足りていませんが。 限りなく真実を知り、情報の受け取り手であり続けるだけではなく、自分なりに咀嚼し、自分なりの考えをもって発信できるようになりたい。 アメリカで起きている黒人差別問題を、自分とは無関係なものだと思いたくない。 目に見えないところでなにが起き、だれが苦しんでいるかを想像し知ろうとすることは、大切なスタンスだと思うから(貧困や環境問題においても)。 そして、こうして発信することで、だれかの“知らないことを知る”きっかけになる可能性があるから。 もうひとつ、とても大切なことを考えたい。 わたしの日常にも密接に関わる、とても大切なことについて考えたい。 もし、ジョージ・フロイドさんが殺害された現場に自分も居合わせていたら、自分はどんな行動をしていただろうか? 「息ができない」と苦しんでいるフロイドさんの、首を押さえつけている白人警察官を目の前に見たとき、どんな行動をとっただろうか? わたしは、100%言い切れますが、ハラハラしたままなにもせず、ただ傍観していただろうと思います。 なぜなら、もし助けにいけば、自分が警察官にやられる可能性があるから。 相手が警察官で力の差が歴然だから、いずれにしても躊躇してしまうかもしれないけど、もし警察官ではなく一般人だったら、止められたでしょうか? わたしは、差別する側の力の方が強ければ、巻き込まれないために傍観していたと思います。 これが、差別のもうひとつのとても難しい問題だと思います。 そしてこれは、身近にある“いじめ”の問題でも起こっていることです。 黒人差別問題とはちょっと離れるけど、身近にあるひとつの大きな問題として、“いじめ”について考えてみたいと思います。 いじめにはいろんなケースがあると思いますが、わたしはここ数年前に、いじめをする側、いじめを受ける側になったことがあります。 いじめをする側になっていたときは、わたしは自分がいじめに加担しているなんて思いもしてませんでした。 「相手に非があるから、相手が悪い」とずっと思っていました。 いじめを受けていた人と同じ立場になったときに、はじめてこれはいじめだと気づきました。 同じ立場にならなければ、わたしは自分がいじめをしていただなんて気づきもしなかっただろうし、いじめの残酷さを知ることもなかったと思います。 明らかに非道いことをしているのに、「いじめをしている自覚がなかった」なんて、恐ろしいことだと思いませんか。 たぶん、「それはいじめだよ。ひどいよ」と言われても、行動を変えなかったと思います。 自分の信頼する(実際には依存していた)コミュニティが、リーダーが、「この人が悪い、自分たちの方が被害者だ」と言えば、疑わずに同調してしまうのです。 いじめられている人の肩をもった人は、コミュニティから阻害され、標的にされました。 そしてわたしも、いじめられる側になったとき、わたしの肩をもった人はことごとく攻撃されました。 だから、「自分が全て悪い」と自責の念に押しつぶされ、崖っぷちのところまでいきました。 そんな経験をしたわたしは、「いじめを受けている人がいたら勇気を出して助けます」とは言えません。 そんなことをしたら、間違いなく自分がやられるから。 これが、いじめのものすごく難しい問題だと思います。 いじめに加担しているのは、実際に攻撃している人だけではなく、まわりの黙っている傍観者も、いじめの加担者です。 でも、自分も標的にされるとわかって声を上げるのは、丸腰で戦場に行くのと同じくらい無謀で、できません。 自分の命は大事だから。 だから、綺麗事や単純な言葉で言えません。 ただ、ひとつだけハッキリと言えることは、わたしがいじめを受けて崖っぷちまできたときに立ち上がれたのは、逃げ場所があったからだということです。 負けて逃げるための場所ではなく、勝つための逃げ場所です。 わたしにとっては、それはたった1人の人で、わたしを信じ支え続けて(文字通り支え続けて)くれて、強さをとりもどすことができ、上手に逃げることができました。 そのコミュニティから阻害されようがわたしは生きていけるという客観的事実、わたしは悪くない(存在はOKである)という客観的事実に気づかせてもらい、自分の足元を固め冷静に対処するすべを教えてもらい、自分の足で去ることができました。 いじめを受けたときに、だれにでも近くにそのような人がいてくれるわけではないので、わたしの場合はとても強運なケースでした。 実際いじめから抜け出すことは、勇気がいるとかいうレベルではなく、命をかけてやりぬくレベルのことでした。 もしそのまま追い詰めていたら、心を病んでしまい人生が大きく変わっていただろうから。 だから、ひとつ言える大事なことは、“1人で戦わない”ことだと思います。 「刃を交えるだけが戦うことではない」と、わたしを支えてくれた大切な人から教えてもらいました。 直接刃を交えずに、戦う方法もあります。 “逃げる”ことは、負けることではなく、勝つための手段のひとつです。 そんな逃げ場所をひとつでももつことが、大切な気がします。 それは、別のコミュニティだったり、信じられる人だったり、仲間だったり、プロのカウンセラーだったり、とにかく「自分はなにも悪くない(非があったとしても、行動がNOなだけで存在自体はOKである)、自分には力がある」と客観的事実に気づかせてくれる場所が必要だと思います。 基本的な真実として、他人と過去は変えることはできません。 相手に自分のことを理解してもらうことは、100%できません(相手の感情をコントロールすることはできない)。 だから、他人を変えようと努力することは、自分の大切なエネルギーを無駄に浪費してしまうことになります。 崖っぷちに追い詰められたとき、わたしは自分の大切なエネルギーを自分を大切にする思考、人、場所にのみ使うことに全力で意識しました。 逃げ切るまでそれを延々と繰り返すことで強さをとりもどすことができました。 いじめの経験を受けて、もうこれ以上人と付き合っていくのは嫌だと思ったけど、悲しくも嬉しくも、やっぱり人は1人で生きていくことはできません。 それに、“成功”は人との関係の中に見出せるものだとも思います。 自分を傷つける人はほんの一部で、世の中には自分を信じてくれる人もいます。 人を信じることができなければ、プロのカウンセラーに話すこともできます。 安心安全な人、仲間、コミュニティに属することが、いじめから立ち上がる救いの道だと感じてます。 これが、いじめから立ち上がるために大切なことだと思います。 もしいじめを受けて苦しんでいる人がいたら? 刃を交えて一緒に戦うことだけではなく、逃げ場所を作ってあげることも1つの方法だと思います。 わたしは逃げ場所になれる確信も懐のデカさもないけど、逃げ場所へうながすことはできると思います。 個人的には、病気になったら病院に行くのと同じくらい、カウンセリングがもっと身近なものになればいいなと感じてます。 黒人差別問題は、もっと根深く、社会の仕組みから変えなければならないとても難しい問題なので、同じようには言えません。 日本に住む平凡なただの主婦のわたしには、できることも言えることもなにもないように思えました。 でも、抗議デモを観ていて気づいたことは、たった1人の力は小さいけど、1人の力が集まればものすごいパワーになるということ。 抗議デモに参加することだけが行動ではなく、ある人は暴動で破壊された街を自分の手で掃除したり、ある人は自分の意見や思いを発信したり、ある人は英語がわからない人のために映像に字幕をつけたり。 一人ひとりが、自分にできることを考えて行動している姿に、沈黙ではなく行動することが大事だと背中を押されました。 微力だとしても、決して無力ではない。 ものすごく詳しいわけでもないし、勉強不足で、なんの役にも立たない記事かもしれないけど。 自己満足の域を出ない、綺麗事ばかりの記事になってしまったかもしれないけど。 ほんの一部でもこの記事が“知らなかったことを知る”きっかけや、黒人差別、いじめについて自分だったらどんな行動をするか?を考えるきっかけになれたら嬉しいです。 最後に、わたしが大好きな曲をぜひ聴いてみてください。 【Black Eyed Peas 「Where is the love?」】 つたない文章ですが、最後までお読みくださり、ありがとうございました。 みんながホッと安心できる場所 ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。 さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として… 子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として… あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として… さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える そんなあたたかな場所をみなさんと作っていきたいと思っています。 ぜひ遊びに来てくださいね。 ひだまりの家サンポミチHP hidamarinoiesanpomichi.jimdofree.com
黒人男性が白人警官に殺された事件を発端に広がった、人種差別抗議デモ
大学のゼミで、人種差別問題と黒人音楽について研究し、大切な真実を教えてもらった
「相手を理解したくても理解できない」ことをまず認める。その上で、なにができるか?
アメリカで問題となっている『構造的人種差別』
目の前で差別(いじめ)を受けている人がいたとき、どうするか
いじめをする側、いじめを受ける側になってわかった、同調することと傍観することの深刻な問題
刃を交えるだけが戦う方法ではない。1人で戦わない。
微力でも無力ではない。沈黙ではなく行動していきたい。
~ひだまりの家サンポミチ~

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