日記塾~ひだまりの家とわたし~

アメリカで広がった人種差別抗議デモについて思うこと【差別やいじめの現場にいたとき、自分はどうする?】

アメリカで起きた、白人警官による黒人男性の殺害事件。

この事件を発端として、アメリカ全土や全世界に広がった人種差別抗議デモ。

日本に住む、なんの影響力もないただの平凡な主婦のわたしに、できることはあるでしょうか?

もし目の前で、差別を受け暴力を受けている人がいたら、自分はどんな行動をするでしょうか?

“傍観者”の問題は、身近にあるいじめにも言える問題。

自分にできること、について考えてみました。

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黒人男性が白人警官に殺された事件を発端に広がった、人種差別抗議デモ

2020年5月25日、アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、ジョージ・フロイドさんという黒人の男性が、白人の警察官に膝で首を絞められ、殺されるという事件が起きました。

これが発端となり、アメリカ全土に抗議デモが広がりました。

そして、その抗議デモは全世界に広がっていて、日本でも行われました。

アメリカ全土で広がっている抗議デモのニュースを聞いたとき、「わたしにできることはあるだろうか。それはなんだろうか」とずっと考えていました。

当事者でもないし、黒人差別を日常で感じることもほとんどないし、友だちに黒人がいるわけでもない、日本に住むただの平凡な主婦のわたしに、なにができるでしょうか?

大学のゼミで、人種差別問題と黒人音楽について研究し、大切な真実を教えてもらった

今回の抗議デモについて、いてもたってもいられない気持ちになるのは、大学のゼミで人種差別問題と黒人音楽について研究したから。

そして、黒人音楽の歴史から、人生においてものすごく大切なひとつの真実を学ばせてもらったから。

そのゼミの教授は、人種差別と黒人音楽の歴史について研究していました。

文献や映像、映画、音楽などいろんなメディアから見聞きし、差別と戦ってきた偉大な人たちや偉大な音楽を知りました。

その教授のもと、「暴力には暴力でしか抵抗できないのか」と疑問を抱いていたわたしは「暴力と非暴力」というテーマで卒論を書きました。

この卒論で得た学びは、わたしの人生にものすごく大きな影響を与えるもので、ゆるぎないひとつの真実です。

それは、ものすごく綺麗事ですが確かなことで、「暴力に勝る、この世で最も強いパワーは“愛”」だということです。

教授の言葉で心に刻み込まれている言葉があるります。

「暴力は体を変形させることができるけど、体の傷は時間が経てば治る。

でも愛は、心を変形させることができ、心を傷つける(ショックを与える)ことができる。

そして心の傷は、時間が経っても治らない」

ということです。

わたしは、人種差別と戦ってきた偉人たちの音楽から“愛”を学びました。

だから、“愛”を教えてくれた黒人の人たちがさらされている根深い人種差別問題について、今回の抗議デモを受けてわたしもきちんと自分なりに考え、なにか行動を起こしたいと思ったのです。

当事者でもなく、ものすごく詳しく知ってるわけでもなく、なんの影響力もない、日本に住むただのパート主婦のわたしに、できることや言えることなんてなにもない。

発言するべきでもないのかもしれない(まず自国の歴史や今抱えている問題について考えるべきだろう、とか)。

ものすごく悩みましたが、正しいとか間違ってるとかよりも、自分なりに今考えたことをきちんと言葉にしたい、と思いました。

「相手を理解したくても理解できない」ことをまず認める。その上で、なにができるか?

悶々と考えているときに、とある方の動画を見て、すごく納得した言葉があります。

それは、「わたしは黒人の気持ちを理解することはできない」ということです。

どれほど理解したくても、同じ境遇にあり、同じ経験をした人にしか、その気持ちは理解できないということです。

その方の動画はコチラ↓

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『警察官から殺される』って、日本で考えたらありえないし、あったとしたら恐ろしいとんでもない大事件です。

警察官は、本来犯罪から自分の身を守ってくれる存在だから(そうではないケースも日本では起きているけど、殺されることはほとんどない)。

その警察官に、常に暴力を振るわれる恐怖や、収監され極刑にさせられる恐怖、親から子へ「警察と話すときの話し方」が教えられる気持ちは、たぶん(願わくば)一生理解することはできない。

見た目や肌の色だけで不当な扱いを受け、成功の機会を奪われ、命を奪われ、警察や国、司法を信用できない社会で生きている人たちの怒りや恐怖を、ぜんぶ理解することはできない。

抗議デモの映像を観ながら、彼らの怒りを想像しても想像しきれず、理解できないことに壁を感じてました。

でも、その動画の方の話を聞いて、「同じ経験をした人にしか気持ちを理解することはできない」という言葉に深く納得しました。

だから、事実を知り、“知らないことを知る”ことがゼロから一歩へのスタートなのだと思います。

アメリカで問題となっている『構造的人種差別』

今回の抗議デモをきっかけに、改めてアメリカの根深い黒人差別問題について調べました。

そして、『構造的人種差別(Systemic Racism)』という言葉を知りました。

アメリカの黒人差別問題は、ただ「黒人は〇〇だ」「〇〇人は〇〇な人が多い」みたいなステレオタイプのレッテルを貼られて、就職や受験に不利だといったレベルの問題ではなく。

社会の仕組みが人種差別的な構造になってしまっていること(=構造的人種差別)が問題となっているのだと知りました。

どういうことなのか?がとても簡単にわかりやすく説明されている動画が紹介されていたので、わたしもシェアさせていただきます(日本語字幕つきです)。

【Systemic Racismの説明動画】

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自分なりに調べたり、抗議デモについてのいろんな人の言葉を聞いて思ったのは、“知らないことを知る”ことは無駄ではないということです。

知らないことを知ったとき、大きなショックを受けることがあります。

これもゼミの教授が教えてくれたことですが、“ショック”は、自分にとっての真実の学びとなった証。

学校で習う数学や理科のように忘れ去られるものではなく、痛みを通して自分の価値観や行動をあらためるきっかけを与えてくれる学び。

だから、“知らないことを知る”アクションを起こすことは決して無駄ではないと感じます。

そして、自分の価値観や先入観を置いといて、当事者の声を聴く。

ニュースで取り上げられる情報でなく、当事者の声をちゃんと聴く。

生の声を聴くことで、より真実に触れることもあります。

わたしは、とある動画で、世代の違う3人の黒人男性の話す言葉や声を聴いたときに、理不尽な社会に生きる人の現実、想像を絶する怒りと悲しみ、言葉ひとつひとつの重み、力強さを感じました。

全然勉強不足だし、まだまだ知るべきことは足りていませんが。

限りなく真実を知り、情報の受け取り手であり続けるだけではなく、自分なりに咀嚼し、自分なりの考えをもって発信できるようになりたい。

アメリカで起きている黒人差別問題を、自分とは無関係なものだと思いたくない。

目に見えないところでなにが起き、だれが苦しんでいるかを想像し知ろうとすることは、大切なスタンスだと思うから(貧困や環境問題においても)。

そして、こうして発信することで、だれかの“知らないことを知る”きっかけになる可能性があるから。

目の前で差別(いじめ)を受けている人がいたとき、どうするか

もうひとつ、とても大切なことを考えたい。

わたしの日常にも密接に関わる、とても大切なことについて考えたい。

もし、ジョージ・フロイドさんが殺害された現場に自分も居合わせていたら、自分はどんな行動をしていただろうか?

「息ができない」と苦しんでいるフロイドさんの、首を押さえつけている白人警察官を目の前に見たとき、どんな行動をとっただろうか?

わたしは、100%言い切れますが、ハラハラしたままなにもせず、ただ傍観していただろうと思います。

なぜなら、もし助けにいけば、自分が警察官にやられる可能性があるから。

相手が警察官で力の差が歴然だから、いずれにしても躊躇してしまうかもしれないけど、もし警察官ではなく一般人だったら、止められたでしょうか?

わたしは、差別する側の力の方が強ければ、巻き込まれないために傍観していたと思います。

これが、差別のもうひとつのとても難しい問題だと思います。

そしてこれは、身近にある“いじめ”の問題でも起こっていることです。

黒人差別問題とはちょっと離れるけど、身近にあるひとつの大きな問題として、“いじめ”について考えてみたいと思います。

いじめをする側、いじめを受ける側になってわかった、同調することと傍観することの深刻な問題

いじめにはいろんなケースがあると思いますが、わたしはここ数年前に、いじめをする側、いじめを受ける側になったことがあります。

いじめをする側になっていたときは、わたしは自分がいじめに加担しているなんて思いもしてませんでした。

「相手に非があるから、相手が悪い」とずっと思っていました。

いじめを受けていた人と同じ立場になったときに、はじめてこれはいじめだと気づきました。

同じ立場にならなければ、わたしは自分がいじめをしていただなんて気づきもしなかっただろうし、いじめの残酷さを知ることもなかったと思います。

明らかに非道いことをしているのに、「いじめをしている自覚がなかった」なんて、恐ろしいことだと思いませんか。

たぶん、「それはいじめだよ。ひどいよ」と言われても、行動を変えなかったと思います。

自分の信頼する(実際には依存していた)コミュニティが、リーダーが、「この人が悪い、自分たちの方が被害者だ」と言えば、疑わずに同調してしまうのです。

いじめられている人の肩をもった人は、コミュニティから阻害され、標的にされました。

そしてわたしも、いじめられる側になったとき、わたしの肩をもった人はことごとく攻撃されました。

だから、「自分が全て悪い」と自責の念に押しつぶされ、崖っぷちのところまでいきました。

そんな経験をしたわたしは、「いじめを受けている人がいたら勇気を出して助けます」とは言えません。

そんなことをしたら、間違いなく自分がやられるから。

これが、いじめのものすごく難しい問題だと思います。

いじめに加担しているのは、実際に攻撃している人だけではなく、まわりの黙っている傍観者も、いじめの加担者です。

でも、自分も標的にされるとわかって声を上げるのは、丸腰で戦場に行くのと同じくらい無謀で、できません。

自分の命は大事だから。

だから、綺麗事や単純な言葉で言えません。

刃を交えるだけが戦う方法ではない。1人で戦わない。

ただ、ひとつだけハッキリと言えることは、わたしがいじめを受けて崖っぷちまできたときに立ち上がれたのは、逃げ場所があったからだということです。

負けて逃げるための場所ではなく、勝つための逃げ場所です。

わたしにとっては、それはたった1人の人で、わたしを信じ支え続けて(文字通り支え続けて)くれて、強さをとりもどすことができ、上手に逃げることができました。

そのコミュニティから阻害されようがわたしは生きていけるという客観的事実わたしは悪くない(存在はOKである)という客観的事実に気づかせてもらい、自分の足元を固め冷静に対処するすべを教えてもらい、自分の足で去ることができました。

いじめを受けたときに、だれにでも近くにそのような人がいてくれるわけではないので、わたしの場合はとても強運なケースでした。

実際いじめから抜け出すことは、勇気がいるとかいうレベルではなく、命をかけてやりぬくレベルのことでした。

もしそのまま追い詰めていたら、心を病んでしまい人生が大きく変わっていただろうから。

だから、ひとつ言える大事なことは、“1人で戦わない”ことだと思います。

「刃を交えるだけが戦うことではない」と、わたしを支えてくれた大切な人から教えてもらいました。

直接刃を交えずに、戦う方法もあります。

“逃げる”ことは、負けることではなく、勝つための手段のひとつです。

そんな逃げ場所をひとつでももつことが、大切な気がします。

それは、別のコミュニティだったり、信じられる人だったり、仲間だったり、プロのカウンセラーだったり、とにかく「自分はなにも悪くない(非があったとしても、行動がNOなだけで存在自体はOKである)、自分には力がある」と客観的事実に気づかせてくれる場所が必要だと思います。

基本的な真実として、他人と過去は変えることはできません。

相手に自分のことを理解してもらうことは、100%できません(相手の感情をコントロールすることはできない)。

だから、他人を変えようと努力することは、自分の大切なエネルギーを無駄に浪費してしまうことになります。

崖っぷちに追い詰められたとき、わたしは自分の大切なエネルギーを自分を大切にする思考、人、場所にのみ使うことに全力で意識しました。

逃げ切るまでそれを延々と繰り返すことで強さをとりもどすことができました。

いじめの経験を受けて、もうこれ以上人と付き合っていくのは嫌だと思ったけど、悲しくも嬉しくも、やっぱり人は1人で生きていくことはできません。

それに、“成功”は人との関係の中に見出せるものだとも思います。

自分を傷つける人はほんの一部で、世の中には自分を信じてくれる人もいます。

人を信じることができなければ、プロのカウンセラーに話すこともできます。

安心安全な人、仲間、コミュニティに属することが、いじめから立ち上がる救いの道だと感じてます。

  • 刃を交えるだけが戦う方法ではない。
  • 1人で戦わない。
  • 安心安全な逃げ場所をもつ。

これが、いじめから立ち上がるために大切なことだと思います。

もしいじめを受けて苦しんでいる人がいたら?

刃を交えて一緒に戦うことだけではなく、逃げ場所を作ってあげることも1つの方法だと思います。

わたしは逃げ場所になれる確信も懐のデカさもないけど、逃げ場所へうながすことはできると思います。

個人的には、病気になったら病院に行くのと同じくらい、カウンセリングがもっと身近なものになればいいなと感じてます。

微力でも無力ではない。沈黙ではなく行動していきたい。

黒人差別問題は、もっと根深く、社会の仕組みから変えなければならないとても難しい問題なので、同じようには言えません。

日本に住む平凡なただの主婦のわたしには、できることも言えることもなにもないように思えました。

でも、抗議デモを観ていて気づいたことは、たった1人の力は小さいけど、1人の力が集まればものすごいパワーになるということ。

抗議デモに参加することだけが行動ではなく、ある人は暴動で破壊された街を自分の手で掃除したり、ある人は自分の意見や思いを発信したり、ある人は英語がわからない人のために映像に字幕をつけたり。

一人ひとりが、自分にできることを考えて行動している姿に、沈黙ではなく行動することが大事だと背中を押されました。

微力だとしても、決して無力ではない。

ものすごく詳しいわけでもないし、勉強不足で、なんの役にも立たない記事かもしれないけど。

自己満足の域を出ない、綺麗事ばかりの記事になってしまったかもしれないけど。

ほんの一部でもこの記事が“知らなかったことを知る”きっかけや、黒人差別、いじめについて自分だったらどんな行動をするか?を考えるきっかけになれたら嬉しいです。

最後に、わたしが大好きな曲をぜひ聴いてみてください。

Black Eyed Peas 「Where is the love?」】

youtu.be

つたない文章ですが、最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

みんながホッと安心できる場所
~ひだまりの家サンポミチ~

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熊本県宇土市にある、ひだまりの家サンポミチ。

ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。

 

さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として…

子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として…

あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として…

 

さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える

そんなあたたかな場所をみなさんと作っていきたいと思っています。

ぜひ遊びに来てくださいね。

 

ひだまりの家サンポミチHP

hidamarinoiesanpomichi.jimdofree.com

 

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