怖い夢なんてほとんど見ることのなかったわたしが、1週間の間に3回も見た怖い夢。
夢の内容はどれも同じで、大勢の前で1人の人からいじめられる夢でした。
わたしが怖い夢を見た原因は、過去の人間関係のトラウマにありました。
「人が好き」と感じるか、「人が怖い」と感じるか・・・世界をどういう風に見て、どんな人生を歩むかに影響する、【快・不快】の感情。
少しずつ自分を強くしていくことができた、ひだまりの家サンポミチのカウンセラー多美子さんからの言葉。
今感じていること、大切な気づきについて書いてみました。
1週間に3回も見た怖い夢
大人になってから、ほとんど見ることがなくなった怖い夢。
しかし、怖い夢を立て続けに見たことがありました。
しかも、1週間の間になんと3回も。
その内容はほとんど同じで、幽霊的な怖さではなく、大勢の前で1人の人から精神的にいじめられる怖さ。
1人の強い女性がいて、その女性から大勢の前で自分を悪し様に言われる夢です。
強い、というのは肉体的に強そうではなく、気が強いというか女性性が強すぎるというか。
学生だったらテニス部にいそうな感じの、強そうな女子です(←テニス部に超失礼)(学生時代に経験したわたしの独断と偏見による部活別にいた人の特徴。ちなみに内気で気の小さいわたしはTHE・文系の美術部)。
そして、わたしはいつもその夢の中で、その場の空気や、まわりの人たちから自分がどう思われるかを気にしまくって、けっきょくその強い女性の言われるがままにします。
たとえば、その女性がやったことなのに、わざとわたしがやったように言われて(わざと言っているのだとわかる)、「間違えてるよ」と指摘されます。
わたしは、「いや、あなたがやったことですよね」と言い返したいけど、言い返すことができない。
わたしが言い返すとたぶん言い合いになるので、場の空気は最悪になりそうだ・・・
その女性が間違えたと言えば、まわりの人のその女性への印象を下げてしまう・・・(その女性が苦手だけど、嫌いなわけじゃない)
言い返した自分の印象も悪くなる・・・
と、コンマ数秒の間にめちゃくちゃ気にしまくり気を遣いまくり、その場をどうにかやり過ごそうとして、うやむやに笑ってごまかそうとします。
でも本当は自分は悪くないのだから、自分が悪いと周囲にカン違いされたことが許せないし、怒りが込み上げてくる。
でも、その女性に言い返すことができず、いびつな笑顔を顔に張り付けたまま必死に取り繕う・・・そして夢から覚めます。
夢がリアルすぎて、起きた後もしばらく心臓がドクドクして嫌な気持ちが消えませんでした。
立て続けに2回、3回と同じような夢をみたとき、さすがに「おかしいな。なんかあるな」と思いました。
怖い夢を見た原因は、職場での人間関係の悩みにあった
1週間に3回も怖い夢を見た原因。
気になったわたしは、ある日ひだまりの家サンポミチのカウンセラー多美子さんに話をしました。
多美子さんに話して、すぐに原因がわかりました。
それは、職場での人間関係の悩みにありました。
その頃、わたしがパートで働いている職場で、ストレスを強く感じることがあって。
それが引き金となって、過去の大きなトラウマを思い出し、夢の中で再体験していたのです。
わたしの職場での人間関係の悩み・・・
それは、とあるパートさんがいて、その人の行動にとても裏表があると感じてしまう人がいて。
たとえば、AさんがいないところではBさんにAさんの悪口を言い、BさんがいないところではAさんにBさんの悪口を言う、みたいな行動です。
それを見たときに、「わたしがいないところではわたしの悪口言われているんだろうな」と思いました。
わたしと話すときはふつうに笑って話しているけど、わたしのいないところでは悪口を言われているんじゃないかと思うと、そのパートさん(仮名:Cさん)をすごく気にするようになって。
Cさんから本当はどう思われているかや、言葉のウラを必要以上に気にするようになりました。
Cさんが「わたしが〇〇するね」と言ったときは、本当は「あなたに〇〇してほしい」という意味なんじゃないか、と思って「わたしがします」と言ったり。
自分がどうしたいか、ではなくその人がどうしたいかを読みまくって、イヤなことでも「いいですよ」と言ったり「わたしがします」と言ったりしていました。
でも、そうやってウラを読むことにすごく疲れて、裏表のある人がイヤでイヤでイヤになって。
そんなとき、店長さんから新しい仕事を任され、その仕事もパートさんたちの空気を読んで引き受けたわたしは、自分の中の「イヤだ!」がMAXになって、頭の中が真っ赤になって警報がいっぱい鳴り出しました。
「自分の自由がなくなる」「おびやかされる」「自分を犠牲にしたくない」という強烈な拒否反応で、寝ても覚めても頭の中で警報が鳴りやまなくなり。
職場でもうまく笑うことができなくなり、職場の人間関係や仕事のイヤなことばかりにフォーカスがいくようになっていました。
そして、怖い夢を見るようになったのも、そのころからでした。
『快』『不快』の感情と、感情・思考・行動のクセ
ある日、仕事をしているときに、防犯カメラの画面越しにCさんとAさんがシフトを見ながらなにやら話している姿が見えました。
それは、わたしが「休み希望を出していた日に仕事が入れられていた」という話を、Cさんに話したあとのことでした。
わたしが休むと人数が少なくなって仕事が忙しくなるので、そのことについて「悪口を言われてるんじゃないか・・・」と2人を見て思いました。
胃がキリキリと痛くなる気持ちがしながら、Cさんにその話をしてしまった自分を呪っていました。
しばらくしてCさんがわたしのところに来ると、「仕事が入ってた日、Aさんが休みだから入れるって言ってたよ。Aさんに相談してみたら?」ともちかけてきました。
予想外の提案をCさんからされたわたしは、驚き&てっきり悪口を言われていると思っていた自分が気まずくて、Cさんにめちゃくちゃ感謝しました。
このことを多美子さんに話したとき、
「さゆりちゃんにとってCさんは、“快”か“不快”かでいうと、“不快”を感じてしまうんだね。だから、Cさんは本当は悪口を話していなかったけど、CさんとAさんが話している姿を見ただけで「悪口を言われている」と思ってしまったんだね」
と言われました。
事実では、わたしが休みたい日に休めるよう、Aさんと話してくれていたCさん。
でもわたしの頭の中では、Cさんは悪口を言っていると思い込み、それが事実かのように胃がキリキリと痛くなっていました。
そう思い込んでしまうくらいCさんを“不快”だと感じてしまっていること、Cさんに対する“不快”の感情から、“不快”な現実を作り上げていたことにハッと気づきました。
多美子さんが教えている心理学(TA・交流分析)と脳科学の講座の中で、『感情』をテーマにした話があり、その中で“快”と“不快”の感情があります。
“人”という刺激に対して、「人が好き(=快)」と感じるか、「人が怖い(=不快)」と感じるか・・・
無意識に感じているその感情は、日常の思考・行動につながっていて。
Cさんを“不快”だと感じているわたしは、“不快”の思考(=悪口を言っていると思い込み)・行動(胃がキリキリと痛む)をしていました。
感情・思考・行動は、人それぞれにパターン化しているクセがあって。
わたしの場合、Cさんのような裏表のある気の強い女性がいると、自分が攻撃されないよう媚びてしまうクセがありました。
その人の機嫌が悪いと「わたしがなにかしたのかな」と気にしたり、自分がどうしたいかではなくその人がどうしたいかを読みまくったり。
その人に気に入られればわたしは安全(=OK)で、その人から嫌われればわたしは問題(=NO)。
そう思考してしまうのは、「この人が離れていけば自分が困る=“依存”」している部分がどこかにあるからで。
相手に媚びることは自分を貶めることでもあり、自分を痛めつけることもイヤになっていました。
そんな自分を変えていきたい、強くなりたいと思ったわたしは、多美子さんとたくさん話していく中で、
- どう思われても平気だもん!と思うこと。相手が離れていっても1人でやっていけるマインドをもつこと。
- なにかをするにしてもぜんぶ自分のためにすること。媚びないで、自分がどうしたいかを基準にすること。
- 相手の良いところを見て(相手のためではなく自分が居心地よくいるために)、相手のしてくれたことには感謝すること。
を、何度も自分に言い聞かせました。
これまで相手の感情を気にし、相手がどうしたいかで行動していたわたしにとって、
「相手のために変わるんじゃなくて、自分のために変わるんだよ」
「なにかをするにしても、ぜんぶ自分のためだよ」
と、多美子さんから言われたときに、「自分のために」という言葉が、深く心に届きました。
そっか、・・・自分のためにしていいんだ!と。
今まで自分を大切にしていなかったこと、大切にするとはどういうことか少しずつわかるようになりました。
他人は変わらない、変えられない。他人は他人、わたし。
多美子さんが講座の中で教えている大切なことのひとつに、『他人と過去は変えられない』という事実があります。
わたしがCさんの機嫌を良くしようとやきもきしようが、Cさんの感情をコントロールできるわけではないし、Cさんは変わらないし変えられない。
相手の機嫌に気を遣い、相手の感情にまで責任を感じてしまうのは自分にとってすごくストレスだし、詮ないことです。
相手とわたしはちがう人間で、変えようとするのはわたしの一方的なエゴ。
コントロールできるのは、自分自身のことだけ。
「相手は相手、わたしはわたし」なのだから、まわりの機嫌や感情にとらわれず、自分のために居心地良くいられるようになっていきたい。
『他人は変わらないし変えられない』という事実を思い出すことは、わたしが(勝手に)相手に抱いている期待と現実のギャップで感じていたいろんなストレスから解放してくれる、とても大切な気づきです。
わたしは、Cさんのことを嫌いなわけではありません。
Cさんはムードメーカー的な人で、人を笑わせたり場の雰囲気を明るくさせたり、接客の対応も素晴らしくて、すごいなと思うところがたくさんあります。
だから、Cさんとは仲良い関係でいたいなと正直感じています。
でも、そのためにCさんの不機嫌を気にして、悪口を言われないように媚びるのは、ちがうと思う。
Cさんと仲良くするために、Cさんを悪く思わないために自分を変えようとすることも、ちがうと思う。
Cさんが陰でだれかの悪口を言っている姿をたくさん見てきたから、わたしにとってCさんのその行動はNOです。
それはそれとして、Cさんにはすばらしい面があるから、そっちの方を見るようにして、してもらったことには感謝を伝え、陰で自分のことをなんと言われようが平気な自分でいたい、と思います(自分で言いながらむずかしいこと言ってると思う)。
この記事を書き始めたのは2019年9月。
今は2020年10月なので書くのに1年以上かかっています。
1週間に悪夢を3回も見たのは1年以上前の話で、あれから悪夢は見なくなったけど。
今でもCさんが不機嫌だと「自分がなにかしたかな」「あのときこうすべきだったかな」とつい考えてしまう自分がいます。
それは、子どもの頃の経験から身についてしまったクセ(自分を守るための防衛反応)なので、すぐにはなかなか変えられないけれど。
でも、今まで気づかなかった自分のクセにハッと気づけるようになったことは、とても大きな一歩だと感じてます。
変わるための第一歩は、“気づく”こと。
気づくことで、“今”の自分に自我を置くことができ、目の前のことを客観的に見て、良い方へ向かおうと考えることができるから。
気づいて、なりたい自分を想像して、変わろうとする。
急激に変わるのでなく、その地道なくり返しが、確実になりたい自分になり、元の自分には戻らない道すじだと感じてます。
少しずつ、少しずつ、自分を強く、なりたい自分になっていこうと思います。
みんながホッと安心できる場所
~ひだまりの家サンポミチ~
ここは、日本Share&Careの認定カウンセラー高瀬多美子さんの、「みんながホッとできる安心安全な場所をつくりたい」という想いで始まった、ひだまりの家です。
さんぽみちの途中に、ちょっと自分を見つめなおすための場所として…
子育て中のお母さんが、ホッと安心できる居場所として…
あらゆる世代、立場、経験をもつ人たちとの対話が生まれる場所として…
さんぽの途中にちょっと寄って遊んでいこうと思える
そんなあたたかな場所をみなさんと作っていきたいと思っています。
ぜひ遊びに来てくださいね。
ひだまりの家サンポミチHP
hidamarinoiesanpomichi.jimdofree.com